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ベンチとバイクと、時々、法律-殺人罪に該るか微妙(福岡・新健康協会浄霊事件)
http://law.moe-nifty.com/blog/2010/01/post-c474.html
 
 まず、客観的には、殺人罪の構成要件を充足していることは問題ありません。本件のようなケースは、いわゆる不真正不作為犯ですが、作為義務、作為可能性、構成要件的同価値性の3要件は充たされていると考えて良いかと思います。
 問題は、主観面です。この両親は、医学的治療を受けさせないこと(これが構成要件の客観面です)を正しく認識していますから、主観面にも問題ないようにも思えます(故意があるということです)。
 しかし、この両親は、浄霊行為によって救命を図っていたのであって、単に放置した訳ではないのです。

 
「微妙」ならば、該る可能性もあるということか。
主観面か。
 
仮に、両親の片方が信仰者ではなく浄霊をすることはなく、しかし配偶者の信念に十分に異見することもできず、同じ結果を辿った場合はどうなるのだろう。この事件においては不要の疑問だが、沿革としては気になる。
 

事実は正しく認識しているので、違法性に錯誤があるに過ぎないため(自己の行為が宗教的に許されていると勘違い)、故意は阻却されないと認定することも可能

 
なるほど。
 
 

ベンチとバイクと、時々、法律-保護責任者遺棄致死罪で起訴(福岡・新健康協会浄霊事件続報)
http://law.moe-nifty.com/blog/2010/02/1-dd87.html
 
この事件について私は、その後のフォロー記事の重要性を指摘しておりましたが、フォローされていたのは、毎日新聞の九州ローカル版という、呆れた結果になりました。
(中略)
 さらに、保護責任者遺棄致死罪で起訴されたとしも、これは裁判員対象事件となります。事案的に、被害者が子どもで、親が新興宗教的な教義から治療を受けさせなかったという特殊性があります。そのため、心情的、感情的素人裁判員判断が行われる危険が極めて大きい点が危惧されます。さらに、裁判自体についても、フォローする必要があると思われます。

 
同意。