2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

企む・画く

「#21」に書いたとおり、「Home away Home」は、誰の内にもある偏見と差別の精神構造を<私が>理解したいという動機で書き始めた。過去の自宗派が偏見の対象(新興宗教)であったことは好都合だった。これ以上のサンプルは無い。 「私のなかにこのような感…

たなおろし

ずっと本をまともに読めていない。文章は読める。主題も細部も読めている。筆者の意図も読めていると思う。まあまあ面白いという本もある。だが私のなかに残らない。昔のように、文章の奥に向かってのめりこめない。年々「読め」なくなり、ブログを始めてか…

Interpreter

私には私にとってかけがえのない感情と精神の成り立ちがある、ように、他者には彼にとってかけがえのない感情と精神の成り立ちがあるということ、だからこそ他者と私とは等価な存在であるということを、実感する瞬間がある。実感は言葉以前の世界から来る。…

不断

「差別は許されない」という理念の存在理由はひとつ。人はみな平等であるからではない。人は生まれたときからどうやったって不平等だ。不平等であっても、ただそれだけで人が死ぬことはないし困窮もしない。 「差別は許されない」、許しておくわけにはいかな…

疑問、一次回答

小学生のとき、海兵だった祖父に、戦争で人を殺したかと尋ねた。殺されるわけにはいかないから、といった言葉を簡潔に返された。祖父はうなだれていたような記憶がある。対話はひとつの疑問にひとつの回答で終わった。それじゃあ仕方ないな、と思った記憶が…

ゼロ地点

稀に、人を「人」と思わない私が現れる。そのとき私にとって相手は、肉体という外装にコミュニケーションという性能を搭載しただけのよくできた機械だ。機械が泣こうが怒ろうが言葉を尽くして対話を求めてこようが、私のこころはまったく動かない。 好きに話…

自由であるということ

四十代なかばで、半身不随の困難を背負った人がいた。これからが円熟期というときに、動くことも発話もままならない状態になった。私は気の毒に思った。リハビリで彼の不具合は少しずつ緩和されていった。私は嬉しかった。 なんとか生活の基本動作ができると…

獣ではなく

まだ幼いとき、両親が信仰していた宗派の集会場にたびたび連れて行かれた。家で本を読んでいたい私にとっては暇でつまらない場所だった。ただ、そこに居る人たちはみんな親切で、子どもだからといって邪険にしたり馬鹿にしたりしなかった。いやな思いをした…

話盗人

他者との接触を好まない性向であるのに、「人」という存在への好奇心を褪せずに持ち続けている、しかも他者との対話をとおして深く学びたいという志向性が揺るがない。私のこの大きな矛盾を育んだのはあの対話師であろうと思う。彼が話してくれた人々の生の…

対話師

いつまでも私にとっての先達であり続ける人が三人いる。そのうちの一人はひどくアンバランスな対話師だ。 彼は子どもと女性と、はにかみやな若者たちに妙に好かれる。熱烈に好かれるのではなく、本人でない人の口から廻りまわって「好きだと言っていたよ」と…

リライト

いま目の前にいる彼のこころを量ることはできない。あるいは、量りきれない。しかしこちらの主観を鎮め長く関わってゆくことで彼の精神を測ることはできる。彼の「変化」のありようもある程度測量できる。 測量したものは、全体・総体・実体と呼んだほうがふ…

人と言葉、しらばくれ

ある瞬間の彼のこころのありようを、いま目の前にある言葉ひとつひとつから量ることはできない。文章であっても、長い長い文章であっても計りきれない。 しかし彼の精神を言葉から測ることはできる。選ばれる言葉のくせ、前の言葉と後の言葉のつながりかた、…

嗅ぐ

二十歳前、独り暮らしを始めた頃から、なぜだか鼻がひどく効かなくなった。それまでは、帰って来た玄関先から台所で煮ている煮物の具材が何と何と何かまで嗅ぎ当てた鼻だったのだが。 ツツジの花弁の奥の蜜。折り取り笛にした草の茎。氏神の社の縁の下の湿っ…

手と錐

水底へ落ちてゆくイメージが薄まり始めるとときを同じくして、かどうか、そうであるように感じるのだが、別のイメージが私の独りの時間を占拠するようになった。 胸を前から錐のようなもので突き刺される。あるいは後ろから突き刺される。一度ではなく、必ず…

自剥視

十代以前からか。そこまでは遡らない。二十歳。すでに繰り返していた。始まったのは十代のどこか。 水。海かどうかわからない。潮の香はない。揺れず、音も無く、光も無い。だが見える。頭を下に私が水中を墜落してゆく。底へ。ゆっくりでもなくはやくもなく…

寛容ということ

どこだったかで「寛容」とは傲慢な言葉だと読んだ。 相手を許す・赦すという意味をそこに見出すなら、許すとは支配の一形態であり赦すとは裁きの一形態であるのだから、寛容とはたしかに人の心の持ちようとして、態度として、傲慢なのであろう。 しかし私は…