話盗人

他者との接触を好まない性向であるのに、「人」という存在への好奇心を褪せずに持ち続けている、しかも他者との対話をとおして深く学びたいという志向性が揺るがない。私のこの大きな矛盾を育んだのはあの対話師であろうと思う。彼が話してくれた人々の生の断片の鮮やかさと、彼自身の生きかたの深さとに、きっと私は憧れてやまないのだろう。

彼はたしかに対話師であったが、対話が主たる活動ではなかった。他者の生に深く関わってゆくとき、お互いの関わり合いを見極めるうえで必要な「理解」を得るために、対話はもっとも有効な手法であるから、そしてまた、良き対話はそれだけで苦しむ人を支え、混乱した人の捩れた内部を直やかに整えてゆくことがあるから、彼は主たる目的のために自ずと対話師になったのであって、対話そのものが目的ではないのだ。だからこそ彼の対話術は磨かれ続けたのだが。

私が彼の対話術を盗みきったとしても、彼と同じ高みには到達できない。私はただ「人」という存在に触れたいから対話したいのであって、対話する相手の生に関わりたいとは思わない。彼は誠実に与えるために対話する、私はただ得たいがために対話する。この質の差は技術では埋まらない。自分の傲慢さはわかっているから、私と話すことそのものに価値を感じてくれる人としか、私は対話しない。