対話師

いつまでも私にとっての先達であり続ける人が三人いる。そのうちの一人はひどくアンバランスな対話師だ。
彼は子どもと女性と、はにかみやな若者たちに妙に好かれる。熱烈に好かれるのではなく、本人でない人の口から廻りまわって「好きだと言っていたよ」と知らされるという、実にひっそりとした好かれかたをする。

なぜ彼がそんなふうに好かれるのか、そう多くはないが彼と対話した私にはわかる気がする。彼は子どもや女性や自分に自信なさげな若者たちの話をけして馬鹿にしないで、もっと話したいと思わせる絶妙なあいづちをうちながら、あなたのその話にはとても大きな意味があるのだと思わせるシンプルな疑問や感想を呈する。
よく聴いてはいるが、話の細やかなひだにはこだわらず聞き流している。そのくせ、つまるところ相手が聴いて欲しかったことはなんだったのか、その核心を掴んでいる。そうして対話を終えるとき、聴くだけにしたほうが良いのか、感想を述べたほうがよいのか、助言したほうがよいのか、少々手厳しい言葉を投げかけたほうが良いのかを判断している。
彼は聴いた話の中身をけして他人に漏らさない。つまらない話に付き合ってやったのだといった横柄な態度も現さない(話が長かったなとあっさりボヤいていたことはある)。

断言できるが、彼は一般的に流通している「思いやりのある人」のイメージには当てはまらない。ただただ、他人の話を聴くこと、そこから自分なりの対話を結ぶこと、守秘を貫くことに特化して、彼は優れている。

そんな彼だが、自分の考えを話し始めるとタガが外れてしまう。どうにも止まらない。聞き手がいかにも飽いたという顔をしてみせても目に入らない。しまいには聞役に席を外されうやむやに対話を打ち切られてしまうのだった。気の毒なりね。