35.血の器#13

「ラタ? お前、ここで何してるんだ」
 のぞいた彼女の顔付きは普通ではなかった。不安でたまらないという目。右手でウィルの上着を、左手で自分のショールを掴み、ラタは扉の隙間から出ようともせず言った。
「待ってたの、ずっと待ってたのよ! ウィルは知ってるの? なにが起きたの?」
「なにって、何が?」
「あなたも知らないの? じゃあどうしたらいいの? ――なにが起こってるのか、わたし、全然わからない」
 こっちだってわからない。苛つき、扉を引き開きラタを引っ張り出した。肩を荒っぽく揺さぶる。
「ちゃんとわかるように言えよ!」
「怒らないで! わたし、わたし……ハルに辞書を借りようと思って、来たのよ。この前、そろそろ一通り読み終わるって聞いたから。そしたら、」
「そしたら?」
「ハルが、どこかへ……どこかへ行くところだった。独りじゃなかった。大人に囲まれて」
「大人?」
「そうよ。ビリーさんとセルゲイさんがいたわ。グレズリーさんと、ママもいた。ねえ、どうしてそんな、みんな揃って、ハルを連れ出したりしたのかしら」
「連れ出した? ハルが嫌がるのを無理やりか?」
 口調を強めたウィルに、ラタは激しく首を振った。
「ううん、嫌がってたわけじゃない。けど、ハルの顔は……。うまく言えない。あんなハルの顔、見たことない。ただ、とてつもなく悪いことが起きそうな気がしたの。ハルは、その悪いことを大人達から聞かされて、それを一人で背負わされたんじゃないかって、そんな気がしてしょうがないの。ねえウィル、あなた、心当たりはないの?」
 心当たり?
 考えた。ラタの言う光景が何を意味するのか。答えは見えそうで、霧の向こうの影のように見えない。ハルに何があるというんだ……セルゲイが自分に告げようとした、あの話が関係しているのか?
 セルゲイは「希望」と言った。希望といえば、この状況で希望と呼べるものは、謎の感染症に対抗できる抗体……サムだけが持っていた抗体……それは俺の血のなかには無くて……存在する希望……。
 思考が閃き弾けた。

 希望。ハル。ハルのなか。ハルの血のなか。

「ウィル、どこ行くの!?」
 走り出していた。ビリー・ヒルの家へ。ラタの声は聞こえなかった。

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