36.地図#14

「ハル!」
 叫んでいた。耳をふさぎたかった。
「変だぞ! どうかしてる!」
「どうもしないさ!」
 とたん、グゥッという鈍い音とともにハルは吐いた。体を起こしひねり顔をのけぞらせる。口から胃液が溢れ、頬を伝い、糸を引き床に落ちる。ウィルは部屋の隅に立てかけられた洗面器に飛びついた。
 洗面器を差し出し、ハルを抱えるようにして背中をさする。ハルの全身が痙攣していた。長く、長く続いた。
 ウィルの中で怒りが湧き上がってきた。ハルを変にした全ての人、彼らの期待の塊をぶっ壊してやりたい。抗体が要るからなんだってんだ。みんなが生き延びるためなら仕方ないってのか。ハルひとりがこうやって背負わなきゃならないのか。ハルにもしものことがあったら、俺たち全員でハルを喰い千切ったようなもんじゃないのか。おだててすかして申し訳ないと謝ったその口で喰い、喰った跡を手で拭い去り、これが人間だと澄ました顔で生き延びるのか。そんな汚い命が続いてゆくくらいなら、いっそ全部メルトダウンで消えちまえ!
 ハルの痙攣が少しづつ治まってきた。息の乱れも整ってゆく。ウィルは辛抱強く待ち、そっと声を掛けた。
「ハル、もうやめよう。俺からガランに話す。メイヤ・ファリウスにも。こんなことしなくてもいい方法を探してもらう。きっとあるはずだ」
 ハルはベッドに手を付き、下を向いたまま答えた。
「いいんだ。僕は嬉しいんだ。みんなの役に立つこの仕事が」
「こんなこと仕事なもんか。役に立つなんて、馬鹿なこと言うなよ」
「……馬鹿なこと?」
 ハルがゆっくり顔を上げる。ウィルの手を払いのけ。
 目が合った。
 ウィルは直感した。自分は取り返しのつかないことを言ったと。
「僕の役目を否定するのか? 前の僕に戻れっていうのか? 君はそうやって、僕を役立たずの人間のままにしておきたいのか?」
 ハルの顔から光が消えていた。
「君にわかるもんか。なにがわかるもんか。僕の気持ちのひとかけらだってわかるもんか。そんな顔するなよ、いいんだ、気にするな! わかって欲しいなんて思ってない、わかってたまるか!」
 細い二本の腕で突き飛ばされた。床に崩れたウィルに言葉が撃ち込まれ続ける。
「ここに来るな、その無神経な、偉そうな、ハルは俺に従って当然だというその顔で、ここに二度と来るな! 僕は君の持ち物じゃない、役立たずじゃない、厄介者じゃない、ああ君にわかるもんか、僕のみじめさがわかるもんか、生まれてすぐ自分の父親にさえ役立たずだと決め付けられた、この僕の気持ちがわかってたまるか!」
 戸口までいざり下がったウィルは、背後の扉に飛び付き開けた。
 なにも考えられない。ここから出たい。その背中に、ハルの叫びが突き刺さった。
「僕はもう役立たずじゃない! 僕がいなければみんな生きてゆけないんだ、ざまあみろ!」