37.ラタの谷#13

「俺、そんなつもりで来たわけじゃ。傷つけるなんてまさか」
 ウィルは慌てて首を振った。ひやりとした。
 わかってる、わかってるとバーキン老人は繰り返し、ウィルの背中に回り込んで驚くほどの強さでグイッと押した。
「そうとも。間違いは誰にでもあるさ、のう? お前さんが許しに来てくれる日を待っていたんだよ。待った甲斐があった。さあ、こっちへ」
「待ってください、俺は――」
 しまった、こんな中途半端な気持ちで来るんじゃなかった。ハヴェオを避け続けていることは卑怯な気がして、ここに来ればなにかが変わるかもしれないと、漠然とした運試しのような感覚で足を向けてしまっただけなんだ。頭の中はまだラタが紡いだややこしい言葉でいっぱいで、今、ハヴェオを許す気があるのか無いのかなんて、まともに考えられない。
「さすが竜使いだ、お前さんの父親も優しい男だった、わしはガランに請合ったじゃよ、ウィリアムなら大丈夫、きっとわかってくれるとな。わしの目に狂いは無かった、どうだい、思ったとおりさ」
 バーキン老人はおかまいなしだ。こっちの言うことには耳も貸さず、弾む大声と馬鹿力でウィルをどんどんテントへ押しやってゆく。どこにこんな力があるんだ。
 とうとうテントの前まで押しきられてしまった。違うんです、聞いてくださいとグズグズ言うウィルの手を掴んだまま、バーキン老人はテントの戸布を巻き上げ、「ほい、お待ちかねの人じゃよ! ごゆっくり!」と前半分は中へ、後ろ半分はこちらへ言い放つ。ウィルはドーンとテントの内へ押し込まれ、さらに戸布の留め紐を外から手早く結ばれてしまった。
バーキンさん! 違うんですってば!」
 布端の隙間から外をのぞこうとするウィルの背に、むっつりと不機嫌な声が飛んできた。
「やかましい。静かにしたまえ」
 口をつぐむ。汗も退くほどの沈黙が落ちた。
 ゆっくり首をねじり見た先に、ハヴェオはいた。
 椅子に座り、そばのテーブルに頬杖をつき、いつもどおりの陰気な顔でこっちを睨んでいた。ビリー・ヒルなみの無精ひげ、髪は長いこと洗っていないのか濡れたように皮膚に張り付いている。テントの中はむっと臭かった。換気もろくにしていなさそうだ。
「全部聞こえた。私は君を待ってなどいない。バーキン氏はただのお節介だ。わざわざ君を連れて来るなど、余計なことを」
 病人じみた見た目に似合わない、張りのある、やけにデカい声だ。と思ったら外から「あいたっ」という陽気な声が聞こえてきた。……聞こえるように言ったのか? あんなに心配してくれてる人に?
「別に連れて来られたわけじゃない。様子を見に来たら、捕まっただ……ともかく、バーキンさんは悪くない」
「私が迷惑しているのだ、悪いかどうかは私が決める。言っておくが、私は誰かに許してもらおうなどとは思っていない。まして君に私を許す力など無い。私が償うべき、許しを請うべき相手はサムソン氏で君ではない。思い上がるな」