41.惑いの底#9

 シンが去った夕方、シーサの散歩を始めた。移住区からできるだけ離れ、ニッガの林の西方面を歩き流す。
 ホイッスルが効くかわからない今、シーサの手綱を放すことはできなかった。シーサはそう不満そうでもない。おとなしく引かれて付いて来る。小屋にいるよりは気分がいいのだろう。
 シーサを小屋から引き出すとき、村人達の視線がないわけでなかったが、もう気にならなかった。なんとでも思えばいい。
 草の匂いが強くたちこめている。降るように鳴き騒ぐ虫の声に包まれながら、歩き巡る。ウィルの惑いもあちこちをぐるぐると巡った。パルヴィスが人を乗せたり乗せなかったりする基準はなんだろう。竜によるのか、人によるのか、まさかそのときどきで変わるのか――北の森でシーサから落ちた日のように、自分の記憶の細かいひだを掘り返すようにして、考える。考えるほどに、わからなくなる。血統でもない、自信でもないなら、なんだ?
 ふと、優しさとかかな、と思い、やっぱり違うなと考え直す。ママ先生が「優しい大人になりましたね」と言ってくれたからだ。少なくとも、シーサに乗り始めたころよりは、今のほうが俺は他人に優しくなったと思う。
 さらに、竜を大事にするってことかな、と思い、それでもなさそうだなと考え直す。ロックを殺しかけたときでさえ、ロックは俺を拒まなかった。シーサと大きな湿地帯を越えたとき、シーサにだいぶ無理をさせたけれど異常は起きなかった。
 ときどき、マカフィとネイシャンの顔が浮かんでくる。竜使いの子どもでありながら、乗れなかった二人。マカフィはちょっと軽率でカッとなりやすくて口は悪いけれど、軽率でカッとなりやすいは俺も似たようなものだ。パルヴィスがすごく好きなところは彼のほうが上かもしれない。ネイシャンに至っては俺よりずっと優秀な人だ。勉強家で、竜のことをすごく気に掛けていて。それでも彼女は乗れなかった。それとも俺が知らないだけで、十四歳のネイシャンは問題児だったんだろうか……そんな話、聞いたこともない。
 暗くなるころ散歩を終え、シーサとともに小屋に籠もる。
 シンから指摘されたとおり、エヴィーの弱りかたが著しくなってきた。ただ目だけを細く開け、じっと動かない。餌もわずかしか食べない。水桶を口元に持っていくと、舌を出して、その先を濡らすようにしてちょびちょびと飲んでいる。
 桶を脚下に挟み、エヴィーのあごを根気よく抱き寄せて水をやりながら、ウィルは内心、首をひねった。シンが言ったことは勘違いじゃないだろうか。俺は気持ちが暗いだけで、体はなんともない。やっぱり、ただ歳を取っただけじゃないか――メルトダウンまで、もつだろうか。もたないほうが、いいのかな。もしメルトダウンを防げないなら、せめてその前に、エヴィーだけでも眠らせてやったほうがいいのか。
 水やりを済ませ、エヴィーの首を抱いて座る。
 こうしていると、ある人を思い出す。あの人の父親。純血から振り落とされ、二度とパルヴィスに乗れないまま一生を終えた人。乗れなくなっていらい、彼を常に近くに感じた。テントでまどろんでいるとき、すぐ横で彼がうずくまっている気配がした、そんな錯覚に襲われたことすらある。