42.ハル#1

 ウィルはランプを右手に、移住区の外を周り東へと歩いていた。
 左手にはシーサの手綱。シーサはおとなしく後ろを付いてくる。ときどき首をぐっと高く伸ばすのは、欠伸がわりか。ライトはシーサの背に積んである。明るすぎるからだ。
 雨は止んでいた。夜明け前の森は、風の音もしない。
 ラタはアリータの元へ帰した。こう言って。
『頼んでいいか。朝食の時間が過ぎたら、俺が帰ってるかどうか見に来てくれ。いなかったら、レオン・セルゲイを呼んで、エヴィーを頼むって伝えてくれよ。ハルの居場所はレオン・セルゲイが知ってるはずだ』
 ラタはすぐに引き受けてくれた。どこに行くの、とは訊いてこなかった。
 蒼い光を掲げ帰って行く彼女を見送ってから、ウィルはシーサを起こした。その背に鞍と鐙を据え付け、手綱を首に掛け、ライトと方位磁石と水袋を積み、銃を吊るす。乗ろうとすると即座に後ずさるシーサが、おとなしくなされるがままだった。その理由が、ウィルにはわかっていた。まだ乗る気は無いからだ。答えを掴むまで乗らないと、俺が決めているからだ。
 テントに戻り、騎乗服に着替え、スパイク・シューズを履いた。手袋をきっちりはめ、ホイッスルを首に下げる。そこでふと、着替え捨てたシャツのポケットからはみ出している紙に気付いた。
 ハルの地図。
 抜き取り、両手で捧(ささ)げ持つ。それから、寝袋の上に投げ出したままだった辞書を拾い上げ、中ほどのページに挟み戻した。辞書をテーブルの中央にきっちり置き、ランプを手に取って、外に出た。
 暗闇のなか、黄色い灯りが丸く円を描いて下草を照らしている。ザク、ザクと、スパイク・シューズとシーサの足が下草を掻き分けてゆく音が辺りに響く。
 再びパルヴィスに乗れるのか、乗れないのか。
 ラタには全てを話した。自分とハルの出生のこと。ハルが抗体採取を受けていること。シーサから落ちたこと。それいらい乗れないこと。竜使いの誰もが通る道、けれどその先が大きく別れる道であること。ラタはところどころで質問を投げかけてくれた。感覚的なウィルの言葉を、より細やかな、はっきりとした言葉に建て替えて気持ちを整理してくれた。最後まで聞き終え、彼女はじっと考え込んだ。長い間そうして、こう尋ねてきた。
『それで……ウィルは、乗れない理由は、ハルにあると思ってるのね。ハルに負けたくないっていう、自分の気持ちの問題だって』
 そうだとウィルはうなずいた。
 言葉に現し話すことで、抱え続けた捉えどころのない惑いが、確かなカタチを得ていた。それはもう惑いではなかった。事実と、事実をもとに考えたことと、考えて選び直した気持ちの集合だった。ハルに負けたくないんじゃない。竜のことにかけては、パルヴィスのことにかけては、ハルに‘だけ'は負けたくないんだ。負けていると認めたくないんだ。その気持ちから目を逸らし続けている俺を、乗せないんだ、シーサは。
 まだわからないことがあった。ソディック流に言えば、解が見えない。ハルのほうが竜使いの素質に恵まれているとしても、実際に竜使いになったのは俺のほうだ。それが事実なのに、なぜここまでハルにこだわるのかと。
 そのとき、はからずもラタが同じ疑問を口にした。別の、言い方で。
『それにしても、不思議だわ……ウィルのほうが試験にパスして、ハルのほうが失敗するなんて。パルヴィスは竜使いの血統の人しか乗せないんだとばかり』
 ハルは試験を――と言いかけて、ウィルは言葉を切った。
 そこでラタに別れを告げた。ありがとう、助かったと、礼を言って。その後、シーサを引き出し、こうしてハルの元へと歩いている。
 再びパルヴィスに乗れるのか、乗れないのか。
 解が見えた。
 答えは自分の内には無い。外にある。ハルが持っている。どちらの答えであろうとも、メルトダウンの前に、決着を付ける。