42.ハル#7

 ハルはふうっと息を吐いて、なにを思ったか、かすかに笑った。
「自分でも驚いた。僕がこんなに臆病だったなんて……こんな小ずるいことを平気でやるなんて……でも、これが僕なんだ。その後、ウィルが竜使いになって、毎日森に入るようになって。僕に森の話を聞かせてくれて。毎晩、話を聞きながら、思った。君には怖いって気持ちが無いのか。なんて鈍感な奴なんだ。エヴィーがどうしたとか、森はどうだとかって話しを、試験に失敗したことになってる僕の前で得意げに君は話す。なんて無神経な奴なんだ。ずっと、そう思ってきた――僕、しまいには、こう思った。君なんか、竜から振り落とされて、二度と乗れなくなって、惨めな気持ちを味わったまま、僕の前から消えればいいのに……ってね」
 ハルがゆっくり首を傾ける。ウィルと目を合わせ、笑ったまま言う。
「だから、君がシーサから落ちたって話したとき、一瞬、ほんの一瞬だけ、すごく嬉しかった――ごめん。謝るよ。嬉しかったんだ。僕の気持ちがシーサに通じたんじゃないかって気がしたんだ。ごめん。僕、いまも嬉しいかもしれない。でも、これが僕の本当の気持ちだ。ごめんね」
「……いいよ」
 ウィルはそうとしか言えなかった。ハルがそう思うことは、しかたがない。思ったままを口にすることは、悪いことじゃない。苦しさを隠し抱えてしまうよりは、ずっといい。
「ハルがそれで満足なら、俺はいいよ」
 自分も、思ったとおりを言ったつもりだった。
 ハルの顔が歪んだ。
「満足……僕が満足? そんなわけないじゃないか」
 震えていた声に力がこもる。
 ウィルは感じた。それは、怒りの力。
「君を呪たって、君を傷つけたって、僕のこの惨めさはなにも変わらないんだ。満足できると思うの? 君を見ていて僕は知った。いやというほど思い知った。竜使いがあんなに尊敬されるのは、僕がずっと憧れ続けてきたのは、竜使いが他の誰にもできないことを引き受けるからだ。引き受け続けて逃げないからだ。試験にパスしただけじゃ意味が無い、パルヴィスに乗らない竜使いなんて、あるもんか! なのに、僕は竜使いだ、特別な人間なんだって、必死に自分ひとりに言い聞かせてるこの僕! 僕はあの人の息子だった、試験にパスして当たり前だったんだ、そんなことも知らずにたったひとつの思い出にしがみ付いていたこの僕! 満足してるわけないだろう、それっくらい、わかれよ!」
 ハルの怒りが膨れ上がる。毛布を握った手がはげしく痙攣している。
「誰もかも、みんな、わかってない、全然わかってない! 僕がなにを思っているか、そんなことおかまいなしに動き回って、勝手なことするな! 僕は森が怖かったのに、なんでここにいるんだ? 僕は死ぬことが怖かったのに、なんでこんな体になっちまったんだ? 僕はどいつもこいつも呪ってたのに、なんでそいつらに自分の血をやってるんだ? ――わかってる、そんな目で見ないで、わかってるんだ」
 ウィルの視線から逃げるように、ハルは壁のほうへ目を逸らした。
「全部、僕自身が決めたことだ。わかってるんだ……騎乗試験のあの日から、なにもかもおかしくなった……おかしくなったまま、元に戻れなくなった……全部、僕のせいだ。違う。君のせいだ。ウィル、そう思わせてよ。僕が生きるために。……全部、君のせいだ」