#03.「組織」という主体への要請-日教組全体集会拒否事件について

(2)-1. 『正解』のない問題

本件をニュースで知ったとき、私の関心は「ホテル側の対応、その経緯と背景」に集中した。率直に言って、こういう感想を持った。
「企業コンプライアンスの問題として、非常に難しいケース。自分に同じ問題が降りかかってきたら私は最適解を出せない。『正解』は、無い」

この件は、「顧客」対「顧客」・「顧客」対「地域社会」というステークホルダー同士の利害対立の問題、企業がその対立を解消あるいは調整しきれないという問題、だと私は見た。今もそう見ている。

企業のステークホルダーには「株主」「顧客」「取引先」「社員」「地域社会」「(地域を特定しない)社会」などが挙げられる。どのステークホルダーを優先して尊重するべきか、ステークホルダー間で対立があったとき何を優先するべきか、一般解はない。
優先順をマニュアル的に決めることより、ケースに応じて優先すべき「要件」を見極めることのほうが肝要だろう。

たとえばの話。「顧客に対し納期を守らなければならない」「社員に対し過重な労働を強いてはならない」という二つの「べきこと」が衝突したさい、どちらを優先するか。最優先すべきは「人の生命身体の安全と健康」だろうから、契約履行にあたって社員の安全・健康が甚だしく損なわれることが明らかで、かつ、危険を回避するには顧客との契約条件を見直すしか手立てが無いならば、コンプライアンスの観点から「契約の履行」より「社員の安全」を優先して良いと私は考える。その契約じたいが、人の生命身体の安全を預かるようなものでないかぎり。
※だから契約に対する責任を放棄してよいということでは勿論ないし、対立する課題を並列処理できない経営体の能力は批判されてしかるべきではあるが。

では、本件においては?
ホテル側の対応の拙さを批判することは、私には容易い。しかし、頭に浮かんでくる批判の案は、ホテル側が抱えていた問題をなにひとつ解決しなかった。

「ある顧客」との契約の履行が「他の顧客」への価値提供を阻害する、と明らかになったとき、どうしたらよいのか。自社の業務を越えて、他の顧客と地域社会とに損害を与えることが明らかになったとき、どうしたらよいのか。顧客に対しては他の施設を紹介するなどして代替案を示せるとしても、地域社会に対してはどうしたらよいのか。私には『正解』が判らない。


(2)-2. コンプライアンスのジレンマ

ホテル業といえばサービス業の代表格であり、高級ホテルはいわばCS(顧客満足)のありかたを学ぶうえで鑑となる業界だと私は感じている。(CSの鑑といえばリッツ・カールトンホテルが有名)。
私は仕事がら、「お客様の満足のために」といった類の言葉をよく見聞きするけれども、高級ホテル業でこの言葉が使われるとき、他の業種のそれよりはるかにシビアな重さがある。現場のサービススタッフにとっての「顧客満足」とは、「顧客」という一般名称に対する満足度の総合点数でも平均点数でもなく、いま目の前にいるひとりひとりの「お客様」に対して高い満足を提供できているか、という問いだろうと思う。

そういった業界で問われる自社の存在価値とは何か。単に「安全に宿泊できればよい」というものでないことは確かだ。人が日常から離れて、なにかしら潤いのある、あるいは安らぐ、あるいは何かを記念する、そういう時を過ごすための空間を提供するということが高級ホテルの存在価値だろう。
浮ついた奢侈と思う人もいるだろうが、まあ実際に泡のような奢侈だよなと私も思うのだけれども、ともかく、そういう価値を大切に創っている人達、守っている人達もいるということです。

その価値を守り抜くことは、彼らにとっては「顧客との契約を履行する」という意味でまさしくコンプライアンスの領域に入る話であって、本件は、そういった「法令遵守」の枠を越えた意味合いでのコンプライアンスが内部でジレンマに陥ったものと私は感じる。さらにもう一点、抜き差しならない問題が絡んでいたと見るが、この点については後述する。

前記事に書いたとおり組織体には成熟度がある。プリンスホテルが自社の企業統治コンプライアンスとをどう認識しているか、理念と行動規範とをどれほど現場に展開できているかはわからない。
もしかしたら本件は、もっと単純な話、一企業のつまらない不祥事と鼻持ちならない独善行為との併せ業なのかもしれない。「面倒なことになった→自社ブランド価値を落としたくない→日教組くらい解約してもかまわん→仮処分など知ったことか、どうせ強制力はない→最高裁までいくなら賠償金だけ出しとけ」といったような。どうだろうね。内部の実態は私にはわからない。

ただ、これだけはわかる。本件はフルセット・コンプライアンスの概念をもってしても、最適解が見つからない案件だということ。だからこそ、ケーススタディとして取り上げる価値がある。
鏡に唾を吐きかけたところで曇るだけ。磨いて、己が姿を映してみたほうが益がある。