つる。つれづれ。ずらずら。 #2

記事作成画面にきて投稿カテゴリを見たら「ブログバトン」なるものがあった。へー。じゃあこの記事は「ブログバトン」カテゴリで投稿するわよ。バトンできるものならしてみやがれ。
 
件の条例改正に賛成・同意する意見群にも幾つかのカテゴリがあっただすよ。私に視えていたのは大まかにわけて三つ。
 
(1)「子どもに見せていいものではない」
あからさまな性表現がおおっぴらに流通していることを、「規範」というより「風紀」の観念から問題とする意見。要は「猥褻」という問題認識。
 
(2)「児童を対象にした過激な性表現は、子どもへの暴力である/子どもへの暴力を増長する」
児童を性行為の対象として描いたコンテンツが流通することと、実在の人物を被写体とした児童ポルノが(むろん非合法に)蔓延していることを同系統の問題とする意見。当該コンテンツは児童への加害行為を誘発するという問題認識。
 
(3)「女性を対象にした凌辱表現じたいが差別表現であり、差別の構造を強化している」
女性への性暴力を肯定するような表現じたいが女性への差別意識無しには生まれないとして問題とする意見。表現行為、表現が流通すること、表現の流通が(暗黙の通念としてでも)社会的に是認されていることが女性に対する有形無形の社会的な差別を固定し、ことに性暴力への公正な処罰と改善を阻む一要因であるという問題認識。女性一般、とくに被害経験を持つ当事者に対する(精神的な)加害行為であるという論もあり。
 
以上。ぜんぶ私の眼からみた風景と私の感想なんでして、これで合ってるかどうかは自信ないですわよ。
 
(1)(2)(3)混成の人もいるだろう。んでも5月の石原都知事の発言は(1)オンリーだよな。
4月の東京都の質問回答文集のスタンスも(1)寄り。が、もともとの改正案の文言はどの軸かようわからん。だからこそさんざん突き上げられ一方で擁護されで議論白熱とあいなったのか。
私が視るかぎりでは、ネット上で「人権」を拠り所に改正案に理解を示して論陣張った論者って、(1)はほとんど無視だった気がする。そらそうだろうとも思うが。(1)て たんなる猥褻規制の観念だもんさ。彼らの論の主軸は(2)または(3)だったのだが、その立ち位置から視れば、4月の東京都の回答はどうしようもない事無かれというか、すさまじい後退ぶりではないかと思う。その後どうなってるんやろ。追ってないのでわからない。条例改正の行方に関心がある論者ばかりではなかったのかもしれない。条例改正の議論をきっかけに(2)(3)の問題認識について議論が上がっただけなのかもね。自由でよいと思います。
 
そもそも(1)あたりの話だったのなら、あのー、地方の地方に住んでいる私にはわからんのですが、いまさら規制せなあかんほど東京ではそういうのが堂々とどこにでも売ってるんですかい。私の居住エリアじゃ、その手のは店ごとゾーニングされてるんだけど。子ども(運転免許証もってない歳、くらいの意味。地方では身分証明=免許証見せろ。)の手に入るところにはそうそう無いんだけど。東京は違うのかしらん。すごいな東京。同じ日本なのか東京。イヤミではない。遠いな、と思うだけで。
ネットで見つけてくれば全国どこでもどこにでもーだけど、フリーコンテンツならともかく子どもは有料品はそうそう買えないだろうし、テキスト・イラストはともかく、マンガとゲームの完全フリーコンテンツは質量ともそんな高くないんじゃないかと思っているのだが(ちょびっとでも評価か報酬がないと続けらへれん労力とコストが掛るんではないかと)、そうでもないんやろか。私はこの問題、児童ポルノ問題も併せて、インターネットでの発信行為と複製行為の問題に力点をおくべきじゃないかと思っているので、ネット上にどの程度の品がどのくらいの入手し易さで流れているのか、のほうが、たいへん気になる。
不思議な話だけど、天災機能問題で抽出した論点がけっこう当てはまるんだよなー。そのうちつらつら整理しよう。
 
次からは(1)(2)(3)をあっちいったりこっちいったりしながら、私の猥褻で加害的で差別的なほんとの気持ちをつらつら書いて整理する予定。整理ったってべつになにか反省するわけではない。こうだったけ、そうだった
かしら、どないなっとんねんオラオラ、くらいのものしか書かんわ。あんたのためにも誰のためにも書かんし。でも私は愉しいのだ。ブログやっててひさしぶりに、表現することそのものが愉しい。書くことが嬉しく、書いたものを自分で享け直すことを歓ぶ。私はたのしむ。私はたのしみだ。おうよ、私はたのしめ!