こどもぶろぐじ

わたりとりの書庫へようこそ。

栞でほっとひと息 第十五弾です。

今回は、童心に帰れるかもしれない話。



神社の境内を掃除していたら(※本業ではナイ)、おもしろいモノを見つけました。
百円くれろと言わんばかりの縦穴が開いた朱い箱、書かれていた言葉は
「こどもおみくじ」

こども用のおみくじ?

???^^;
↑だったのですが、そのうち、予想がつきました。
おそらく、こどもの日常に目線を合わせた占いなんでせう。

大人用の(つまり普通の)おみくじって、こんなんでせう。
【運勢】末吉
【総括】祇園精舎ノ鐘ノ声諸行無常の響キ有リナンタラカンタラ・・・
(※要するに、何があっても深く悩まないでおきなはれ、という意味)
【事業】よろし。投機は控えるべし
【金運】散財する機運。身を慎み将来に備えよ
【縁談】良縁近し。焦るべからず
【失物】出ず。気落ちせず執着を絶て
こんなおみくじ、こどもがひいても読めない、というかつまらんです。

たぶんこども用のおみくじって、こんなんでせう(※妄想です)
【うんせい】だいきち
【ひとこと】げんきがいちばん
【べんきょう運】よしゅうしたところが テストにでる 
【おこづかい運】けいかくをたててつかえば ふえる
【ともだち運】しんゆうとけんかする。じぶんから あやまろう
【わすれもの運】たてぶえ ぶんどき えのぐばこ
(※ターゲットは小学生低学年)

「こどもおみくじ」を妄想するにあたり、私は以下のように考えました。

こどもに向けて発信する表現は、大人向けのそれとは異るのではないか。
漢字をひらがなに、単語をわかりやすく変えればいい、というものではなく、
もっと根本的な変換、「精神世界の差」を汲んだ変換を必要とするのではないか。
こどもと大人ではパラダイム(価値判断のよりどころとなる世界観)が違うのではないか。

少なくとも、今の私(大人のつもり)は、
まず「世界」を広く開いたもの、己の思い通りにならないものと捉えている。
必要としているのは、不確かな世界で生きていくうえで信頼できる情報、
もしくは、よりリスクを減らすことのできる心構えを、一般論として聞きたい。
私は自分の行動指針を他者に直接たずねたりはしない。
どう行動するかは、常に私が判断し続けるしかないということを知っているから。

ひるがえって、こどもの頃の私は、
「世界」は自分の周辺に限ったもの、閉じたもの、コントロール可能なものと捉えていた。
自分の存在感は絶大で、思い通りにならないことに対する苛立ち、怒りも強かった。
そのくせ「好き嫌い」は別として、最良の答えは、自分以外の誰かが持っていると確信していた。
答えは具体的に、迷い無く従えるよう「こうだよ」と言い切って欲しかった。
答えの良し悪しなどわからなかった。
権威ある者が語る答えならば、それが正しいのだと信じていた。


私の精神世界が、いつ「こども」から「大人」へとシフトしていったのか。
「あそこが転換期だったな」という時期があります。
けして早くはない、むしろ遅きに失した年齢であったと思います。
今現在、完全にシフトし終えたとも思っていません。
しかし、誰もが身体的には、こどもから大人に成長するように、
早かろうと遅かろうと、急激であっても緩やかであっても、
内なる精神世界もシフトするはずだし、シフトするべきだ・・・とは思うのです。
※このシフトが困難だという障碍(発達障碍)や精神疾患があるということを、知識としては知っています。そうしたかたが、もしこの記事をお読みでしたら、上記の文章は「大人の精神世界とはこういうもので、そこを目指したいと私(わたりとり)は思う」という私見、ひとつの情報にすぎないと捉えてください。

そんなこんなで、大人の(はずの)私が、最近「なんだかなぁ、おい」と感じるのは、
朝のTV番組でのきなみやってる「今日の運勢・ラッキーアイテム」とかってヤツです。
もろ「こどもおみくじ」方式じゃ~ありませんか。たまりまへん。
それとも、あの時間帯の視聴者はこどもばかりなのか。見ている私が対象外なのか。
とっとと朝メシ喰って仕事にイケということだろうか(涙)


話はいっきに飛びますが。
そして本題なのですが。

ブログ界でも、「なんだかなぁ、おい」という場面を、ときどき目にします。
世の中には、大人でありながら、また本人も大人だと自認していながら、
「こどもおみくじ」を必要としているかたが、たくさんいらっしゃるのですね。
彼らの需要に応え、手製の「こどもおみくじ」を売るブログも・・・ありますね。

批判はしません。これは私個人の価値観ですから。
ただ、自分に対する訓戒として書いておきます。
私にも少なからず、人にモノを教え語り、感化したいという欲求があるからです。
そして、上からモノを教え賜ろうぞという表現は、書くにたやすく、誘惑もつよく、
少し気を抜いただけで、水が低きに流れるように流され堕ちやすいものであるからです。

【訓戒】
「こどもおみくじ」売り場を作れたら、さぞ気分がいいだろう。
自分の一言を欲しがる読者に囲まれ、ちやほやされ、役に立ったと感謝される。
しかし覚えておくがいい。それがいかに他人を損なう行為であるか。
相手を「こども」と見くびり、「こども」であり続けろとスポイルする行為であるか。
そして鏡を見るがいい。それがいかに驕り高ぶった態度であるか。
自分を偉く強く見誤り、偉く強くあり続けようと執着する態度であるか。

そんなブログ、真性の大人からは、相手にされませんわな。
あほらし。やめとこ。

真性の子供を対象に、ネチケットやルールを懇切丁寧に解説するサイトのほうが、
「こども」を「大人」にシフトさせようと試みている点で、
高尚な「こどもおみくじ」を売るブログよりよほど優れていると、肝に銘じておきます。

※正直なところを申し上げれば、ブログに限ったことでは無く・・・
「人に好かれるコツ」「自分を変えるコツ」「人生を豊かにするコツ」等々、
巷にはびこるあまりにも安直な「生きかた」ハウツー本の全てに対し、
私は「こどもおみくじ」に通じる軽薄さを感じております。なんだかなぁ、おい。
【これをよめばじんせいだいきち】って、そんなお手軽な人生、あってたまるか。



おみくじといえば、最近は悪い卦が出ても全然気になりません。
「大吉」より「凶」くらいのほうがおもろい。話のネタとして。

若かりし頃、連れと一緒にひいてみた おみくじに、
「相手に誠意なし」
と書いてあった、
あれを超える傑作をぜひひいてみたいです。