#023
いまどき、ほとんど家庭は核家族だ。片親の家庭も少なくない。
親から子へ、子から親へ*1述べられる「今日から私とあなたは他人だ」は、一方が他方を共同体(家庭)から放逐するというより、共同体そのものを解体しようという宣言だろう。両者の不利益は、解体のその瞬間にかぎれば同質でも同量でもないだろうが、長い目で見るほど同等と私には見える。
親と子はいつまでも非対称な存在ではない。*2
私の養育者は、私の養育において不足も過りも無かったにも関わらず、私に「私とあなたは他人だ。あなたは私に何も期待するな」と示された。理由も尋ねずに、黙ってそれを受け容れている。老後と死後はどうするつもりか訊いたら、私をアテにしていないと言った。*3
私は借りばかり増えて返す気さえ全く無いが、子だからか、その借りをちっとも重く感じない。
世間一般には、これを親不孝と評する。
新興宗教の家庭に生まれると、世間の評はころっとひっくり返る*4。なぜひっくり返るのか、その気分も含めて私には解るが、「ころっ」というそのひっくり返り様の際立ちぐあいは、いまだに解りきらない。