#030

苦痛を抱えて迷いを持ちながらも医療を拒否し続ける、その心象はどのようなものか。
他人の心は覗けないので、私自身と近親者の例を踏まえて書くなら。
理由はひとつではない。症状を悪化させたこんな状態で今さら受診して、医者からなんと言われるだろうかという怖れがある。ここまで手かざしでやってきたのにという惜しさ、あともう少しで薄紙を剥ぐように良くなっていくかもしれないという期待がある。信仰者仲間と話をしても「手かざしで良くなった」という話ばかり*1で、迷いながらも医療側にシフトしたいという自分の気持ちを後押ししてくれる言葉*2が、周囲には無い。
 
私は在籍中には子を持たなかったので、この心象が我が子に向かってどう働くか完全にはわからないが。
その苦痛を自分が体感できないだけに、判断がさらに遅れる可能性は高い。受診が遅れたことを医師からなんと非難されるか、という怖れは、さらに強いだろう。*3

*1:自分自身もそのような語りしか自分に許してこなかったわけだが

*2:「迷いながらも〜したい」という気持ちを後押ししてくれる言葉、が要るのだと私は思う。だから無信仰者の、手かざしを完全否定して述べられる「当然受診すべきだ。ていうか最初から受診すべきだ」という言葉は、助けにはならないと思う。

*3:親にとって医師はたんなる「治療の専門家」ではない。養育状態に良否の評価を下す社会的存在でもある。乳幼児の定期健診を前にして、子の発育不良・発達不良とどう向き合おうかと苦しむ母親が、離脱後の私の周囲にも少なからずいる。