#031

系列宗派の布教師のかた*1が、福岡市の事件に言及されていた。
拝見して、宗派内ではわりあい穏当なバランス感覚を持ったかたの文章と感じた。しかし私(離脱した信仰二世)としてはなお異議がある*2
 

実践神学 - いづのめユニオン委員長のブログ
http://blog.goo.ne.jp/iznomeunion/e/50f6bc998ceab753e2ee42341ccf4e16
 
 私が何度も申し上げているように、要は教団の対応一つだったのです。一度だけ病院での検査にかかればよかっただけのことです。小乗の善は大乗の悪を地で行ってしまった訳です。明主様ご在世時もこのようなことは起きていました。布教師の責任で不注意では済まされない問題として厳しくご指導がありましたよ。智恵の問題です。

 最後にここまで書いて良いかどいうか迷いますが、どんなに愛情注いでも早くに霊界に引き取られる運命の子がいます。今回の場合がそうなのかは明主様だけがご存知の事ですが、私どもにはどうしても総合的な判断が常に求められるという事です。

 
書かれていることで解らない点は無い。運営側の責任を問うていらっしゃる点、総合的な判断と仰っている点には同意する。
私が同意できないのは『一度だけ病院での検査にかかればよかっただけのことです』の箇所。正確には何を意味するのか、御本人に尋ねなければ断定はできないが、私がよく知っている宗派内での通念に照らすなら、この言葉には「一度だけ病院にかかっておけば、宗派内で修まる問題に留められたのに」という感触がある。
#003で紹介した福岡市の97年-99年の事例は、2010年1月の事件とほとんど同じケースであるのに今回まで表に出て来なかった。素人の私は推量しかできないが、その分れ目は「死亡した場が病院だったか、自宅だったか」ではないかと思っている。子の疾患に対し受診の判断が遅れたことを理由に親権者が刑事訴追される例はまず無いだろう。受診しないまま死に至ったからこそ2010年1月の事件は「事件」として逮捕・起訴されたのではないか。経過も結果もほとんど変わらない出来事に対して、子の死んだ場があちらかこちらかという一点で社会の応答が変わる。この変わり目の機微を、運営側はよく呑み込んでいるのではないかと私は推量している。
 
97年-99年の事件も当然訴追されるべきだったと言いたいのではない。しかし、少なくとも「問題」として公に明らかにされて欲しかった。私は所属した宗派にも系列宗派にも悪感情はまったく無く、報道をきっかけに世間の偏見が酷くなることを怖れるけれども、これからも同様の件があればその経緯と結果は公に明らかにされて欲しい。
 
リンク先の文章は「一度だけ病院での検査にかかっておけば『セーフ』」という論調に、私には読める。
無信仰者に為った二世の立場から見て、その通念は子自身の福利を慮ったものでは到底ない。親側にとっては受診の判断を遅らせるうえに、運営側にとっては事無かれの態度を長引かせる害にしかならない。

*1:正しくは、「系列」ではなく世界救世教いづのめ教団の布教師のかただが、私は今回の件を系列宗派に共通の問題として取り上げているので、敢えて教団名を本文には書かない。

*2:先方はコメント・トラックバックとも受け付けていらっしゃらないので、一方的な言及となる。申し訳なく感じるが、仕方がない。