フィードバックレポート

ブログ文化論争関連の記事をまとめました。
私のメモも付いていますが、ご指摘があれば修正・削除・加筆いたします。


【わたりとり】
2005/12/14 イヤな奴とはこんな奴
<memo>論争の発端となった記事。「異文化」「流儀」「私達」「彼ら」
<TB→>[Web] はてなYahoo! BLOGS (by webmugi氏 ※はてなユーザー
<TB→>朋遠方より来る。また楽しからずや。 (by tinkoji氏 ※はてぶユーザー)
<TB→>各論者の関連記事多数(※TBステーションとして機能させた)
<Hatebu!>はてぶから被クリップ

【ちょっちぷんさん】Fountain:Mind,Personality
2005/12/16 フローリフェラス・フローリッシュ
<memo>プロレス界との比較考察が秀逸。pinkoさんのコメントに注目「議論」
2005/12/18 ハリモグラにモンキーを持たせてみたい
<memo>「個」と「集」の考察。

【chargeupさん】Fountain:Word,Different Culture
2005/12/16 文化に優劣はあるのか
<memo>「批判」の許容範囲を考察、ネット界の変化
2005/12/17 幻聴様ワールド
<memo>「説教族」の言語体系・荒らし用マジックワード
<TB→>二十四人の話者(by わたりとり)
2005/12/19 文化に優劣はあるのか2
<memo>説教族のスタンス、「ルール」と「マニュアル」の違いの考察
<TB→>説教について(by 「公開雑記」様 ※はてなユーザー
<TB→>ネット住民分類学(?)1 (by 海風氏)
2005/12/22 文化に優劣はあるのか3
<→TB>ネット住民分類学(?)1 (by 海風氏)
<memo>御自身の障碍(アスペルガー症候群)を背景に、「異文化共存」を考察
2005/12/23 文化に優劣はあるのか4
<memo>異文化との接触方法、希望的観測、「テラ・インコグニタ」

【海風氏】Fountain:Systematization,Analysis
2005/12/17 ネット先住民と、村人のブログ。
<memo>Y!ブログは「ムラ社会」を形成しやすい環境
2005/12/18 とりあえず、更新しとこ。
<memo>モヒカン解説。コメント欄でモヒカン談義(※モヒカンの解説文について、その後はてなからTB・コメントが付き、海風氏は訂正記事を上げられている)
<Hatebu!>はてぶから被クリップ
2005/12/20 ネット住民分類学(?)1
<→TB>文化に優劣はあるのか2(by chargeupさん)
<memo>ネット住民を2次元分類「モヒ族」「説教族」「街人」「村人」
<TB→>文化に優劣はあるのか3(by chargeupさん)
<Hatebu!>はてぶから被クリップ
2005/12/21 ネット住民分類学(?)番外編
<memo>ネット住民2次元分類に至るまでの思考過程。コメント欄「ネット市民」
2005/12/24 ネット住民分類学(?)2
<memo>ネット住民を3次元分類。「匿名軸」を追加
<TB→>[etc]ネットの中の民族の可視化(by 「quinta essentia」様 ※はてなユーザー
<TB→>モヒカン族 - 「モヒカン族」に関する言及 化(by 「モヒカン族」様 ※はてなユーザー
<TB→>モヒカン族に関する修正 (by 海風氏 ※訂正記事)
<Hatebu!>はてぶから被クリップ
2005/12/24 ネット住民分類学(?)番外編2
<memo>ネット住民3次元分類の軸について再考察、「ROM神様」
2005/12/26 ブログ考
<memo>ブログはメディアの一翼を担えるか?
<TB→>マスメディアに影響を与えるブログ(by 海風氏)
<TB→>二十四人の話者(by わたりとり)
<TB→>2ちゃんねるとブログ (by chargeupさん)

【わたりとり】Fountain:Expression,Communications
2005/12/27 二十四人の話者
<→TB>幻聴様ワールド(by chargeupさん)
<→TB>ブログ考(by 海風氏)
<memo>異文化コミュニケーション(「混成コミュニケーション」)、コメント欄「ブリッジ」
<TB→>イデオンの世界 (by chargeupさん)
2005/12/29 名付け評する私の心
<memo>私の一人反省会、「彼ら」とは?を最終考察。



 私達四人は外を見ることで、大きなテーマを、自分達の力でいくつも見つけました。「私達の流儀(議論)」を通して得たものは多く、多すぎて総括するのも野暮なくらいです。なので、興味のある方はリンク先へ飛んで、記事とコメントから私達の思考の経過をたどっていただければと思います。
 私はたくさんの気付きを得ただけでなく、議論の過程を心から楽しんだ。だからもう、自分の流儀が人からどう評されようと、構わない。そんなことはとっくにどこかに書いてあるぞと言われても構わない。自分自身で掴んだ「価値」は揺るがないのだということを、知りました。
 一連の過程から、なにかしらマニュアル的・ハウツー的なものを取り出し、広く啓蒙することは可能かもしれませんが、やらないでおきます。こんなおもしろいこと、人に教えたらアカン(笑) 自ら行い自ら知るという【経験】を、後発のかたがたから奪ってはいけないと思うので。



 さて、ここからは私の個人的な話。
 今年9月、ある行きつけのブログで、「馴れ合いとはなんぞや」というお題が出た。
 2005/9/8 馴れ合い・・・か(by pincomp_sniper氏)
 Yahoo!ブログが「馴れ合い」主義的な雰囲気を持つ
ことは、以前からYahoo!内外で言われていたことだ。
(中略)
ここから「Yahoo!ブログのシステム」に原因を求めるか、
「Yahoo!のユーザー層」に原因を求めるか、それとも、
「コミュニケーション論」として考察を進めていくのか?

それは、それぞれが自身の頭で考えてもらえると嬉しい。
   
 この記事にはたくさんのTBが付いた。私もTBしたいと思ったのだが、考えがまとまらなかった。その後、TB記事とpincomp氏の追加記事を読み、なるほどと思うところはたくさんあったのだが、今ひとつ腹に落ちてこなかった。
 なぜか。今なら、わかる。
 コミュニケーションの「冗長性」と「深度」の関係を、私が捉えきれていなかったからだ。

 どれほど開けっぴろげな人間・懐の深い人間でも、初見の相手と深くコミュニケーションすることはできない。コミュニケーションの「冗長性」を軽視することはできないのだ。取るに足らないやりとり、はたから見れば無駄にしか思えないお喋りの積み重ねこそが、心の奥底まで相手に開示する勇気、自分の全てを相手に委ねる信頼を築いてくれる。
 どこまでが「馴れ合い」で、どこまでが「良質なコミュニケーション」なのか、区切ることは難しい。連続する虹の色をどこで区切るか、ということと同じだ。
 ならば、主観によって区切るしかない。よって、「よし」とするコミュニケーションのありかたは、人それぞれ異なる。異なって自然であり、それこそが「個性」だ。
 Yahoo!ブログのデザインは、記事とコメントとTBを同列に扱っている。どれも文字のフォント・ポイントが同じなうえ、1フレームのなかでシームレスに繋がっている。顔アイコンやアバターで、さらにコミュニケーションしやすい(ROM者がコンタクトするハードルが低い)環境になっている、と私は考えている。
 コミュニケーションを重視して設計されたポータルを、ユーザーがどう使うか。そこから何を取り出せるか。それはユーザー次第だ。私は成功したコミュニケーションも失敗したコミュニケーションも数多く見た。自分も経験した。そして思う。「無駄なコミュニケーションなど、ひとつも無かった」と。
 ここでは誰もが、冗長性の高いコミュニケーションを積み上げながら、この人こそはと思える人と心行くまで語り合う「時」が来ることを待っているのではないかな。川底の土をふるい続けながら、いつか砂金を掬い上げる「時」が来ると信じているのではないかな。
 私はそう感じました。
 pincompさん、宿題出すの遅すぎですが、宜しくご査収ください。(リンク先まで全部読んでなどとは申しません。「書いたよ」と言いたかっただけなので、「見たよ」と言ってくだされば充分です^^;)



いや~、それにしても、ほんとに楽しかった(笑)
それでは皆様、今年一年ありがとうございました。よいお年を!