うまい美味い旨い記事

わたりとりの書庫へようこそ。

栞でほっとひと息 第二十二弾です。

話題が旬なうちに、もうひとつ書いとこう。



前記事「わたしまけましたわ」で、勢甲蟹(ズワイガニの雌)は美味い、と書きました。
>紅白に輝く濃厚なミソ、口の中でぷちぷち弾ける卵がたまらん。
ほんまに美味いんです。調味料も薬味も不要、素材そのものの美味さがたまらん。
甲羅の隅々まで割り箸でほじってせせってすすって、ちびっとの珍味をちびちび味わいます。
(はた目にはとっても意地汚く見えます。かまうもんかい)

んで、ふと思ったのですが、
私はこの好物を「旨い」とは評しません。
「美味い」と評する。「旨い」はなんか違う、と思う。感覚的に。

辞書(大辞林)を引いてみました。【美味】【旨い
語義だけ読むと大差ないが、用法まで読むと違いが見える。
【美味】は用法に「山海の・・・」「旬の魚は・・・」とある。素材のクオリティを捉えた言葉っぽい。
【旨い】は「飲食物の味がよい」とあるし、対語は「まずい」となっている(【美味い】には対語なし)。てことは、食べた者がその味をどう評価するか、という言葉なのかな。さらにおもしろいのは「旨い」には派生語義があるということ。解説を読むとみょ~に笑えるぞ。なんでやろ。

【旨い】派生1>技術・技量などがすぐれている。腕前がいい。上手だ。巧みだ

つまり、
【美味い】素材そのもののおいしさ、natural(天然の)、本質的なうまさ
【旨い】調理したおいしさ、artificial(人工的な)、技巧・工夫をこらしたうまさ
・・・てなカンジなのかな。


いやあの、なんでこんなことを書くのかといいますと、
最近いろんな記事を読んで、また自分の記事を読み返して、感じるのです。
「うまいなあ」という記事とそうでない記事がある。そして、
「美味いなあ」という記事と、「旨いなあ」という記事と、二通りある、とね。

書き手の個性・心の動きが鮮やかに浮かび上がり、こちらに伝わってくる記事、
私はそういう記事を「美味い」と評します。
荒削りな表現、迷い惑う表現、無防備で危なっかしい表現であったりします。
ありふれた出来事への感想を綴った、情報価値の低い記事であったりします。
(偉そうなこと言ってすみません)
しかし、美味い。なにものにも替えられない唯一の価値を、私はそこに見出す。
他のものと比べようとも、ああだこうだ分析しようとも思わない。美味いったら美味い。

ひるがえって、用意周到な記事というのがあります。
私はそういう記事を「旨い」と評します。
ソースが決め手の高級フランス料理、てイメージかな・・・。
関連情報にあまねくリンクを張り、ロジックに隙が無く、知性溢れる文体で正装した文章。
洗練された、情報価値の高い記事が多いです。
私は仕事上こういった表現を「組み立てること」に四苦八苦しているので、読んでいておもしろい。同類者の作品を分析する楽しさがある。
見事に組み上がった記事を読むと、いやぁ凄いなぁと賛嘆の拍手を送る。
組み立てるに悩んだであろう跡・組み立て損なった瑕(きず)が見えると、ああ苦労したんだろうなぁ、きっと次の記事はもっと【旨く】なるんだろうなぁ、と楽しみになる。(ちょっとヤな読者かもなぁ)

私はどっちも好きです。どっちもうまい。

たまに【美味い】と【旨い】が融合した記事を知ると、何度も読み返してしまいます。
リファラで私が何度も出向いていることを把握し、不気味に思っているかた、もしいらしゃいましたら、それはそちらの記事が【美味すぎる&旨すぎる】からです。挙動不審ですみません)

あ~残念だなぁ、という記事もあって、
書き手の視点・考え方が光っている=【美味い!】と唸らせる潜在力を持っているのに、技巧を加えたことで【旨い】に変じてしまっている記事。素材の良さが隠れちゃったなぁ、惜しいなぁと思います。

あ~つまんないなぁ、という記事もあって(爆弾です。ご容赦を)、
美味さが無い、つまり書き手の意思も意志も感情も視点も見えてこない、そのくせロジックorレトリックを駆使し高尚っぽく記事が完結しちまった【ソースだけ凝りまくったフランス料理もどき】記事。文章力あるのにもったいないなぁ、と思います。

「私の記事をちゃんと読んでいるとわかる内容であれば、どんなTB記事でもOK」と私が表明しているのにはちゃんと理由がありまして。
言及リンク・関連性の高さを相手に要求すると、相手の「書くスタイル」を制限しかねない。相手が【旨い】記事を書くことにこだわってしまい、【美味い!】記事をのびのびと書く力を削いでしまう。結果【美味い!】記事が私の記事と繋がるチャンスを逃してしまう、と考えているからです。

書きたいことだけを一気呵成に書いてTBしてくださって、かまわない。
なにか私の記事に繋がる糸が見つかった過去時事をTBしてくださって、かまわない。
こちらへのリンクがあるか、私の記事に言及しているかなど、気にしなくていい。
TB者が私の記事のどこに価値を見出してくれたかくらい、読めばわかる。私には読む力があるから。
極上の勢甲蟹をいただいたのに、「刺身がない」「ご飯がない」「お吸い物がない」などと私は言わへん。蟹だけだから、味が引き立つんじゃ。美味い美味い。
勿論、薫り高く誉れ高いフランス料理だって深謝していただきます。ソースの最後の一滴までいただきます(TB記事中の関連リンクはほぼ全て読んでいます)。旨い旨い。

【旨い】の派生語義には、こんなのもありましたね。
【旨い】派生2>自分にとって都合がよい。こちらの望ましい状態だ。

私は【旨い(※派生2)】TB記事より【美味い!】TB記事のほうが、好きなのです。
【美味い!】TBをいただいたとき、私は驚き、繰り返しTB記事を読み返し、そしてこの仮想世界で出会い意見を交しあえたことを、深く感謝します。仮定の話でなく、私はすでに何度も経験しているのです。



おや・・・「TB記事を読むのはあんただけちゃうで。読者を忘れたらアカンで。あんたの言うことは自己満足ちゅうんじゃ」という幻聴様が聞こえてきたような・・・

私は、自分の記事に、みょ~な自信がありまして。
ここの記事から何かを感じ取り、TBしたいと能動的に動いてくださるかたが書く記事は、誰が読んでもおもろい!つまらんはずがない!と信じきっているのです。
こんな偏屈ブログを好んで読むブロガー、偏屈に決まっとるわ。偏屈人が書く記事がつまらんわけないんじゃ。わはははは。

さらに言います。(以下はスパムTBを除いた話)。
【本記事の品質】が【TB記事の品質】を決定しているのだ、という信念を持っているのです。
ゴミみたいなTBなどと他人の記事をこきおろすブロガーは、御自分の記事がそれらを招いた事実をよっくごろうじろ。私は絶対に、私の記事をTB先に選んでくれたブロガーの記事を「無価値だ」などとこきおろしたりはしないよ。それは天に唾する行為なのです。私にとってはね。



・・・えーと、なんの話だっけ。
ようするに、私は食い意地が張っているという話でした。お粗末。

※上記は辺境ブログだからこそ、またここの運営スタイルだからこそ豪語できる空論であると自覚しております。あしからず(笑)