29.震えと怖れ#7

「そういえば、フィブリンは? もう歳だもんな。冬は越せそうか?」
 明るい話題に変えたつもりだった。ところがハルの顔が一気に曇った。
「ううん、実は……言おうかどうしようか迷ったんだけど……三日前、眠りについたんだ。もう目を覚まさないと思う」
「えっ、じゃあレオン・セルゲイは」
 なにが言いたかったわけでもない。ただレオン・セルゲイの顔が浮かび、どんな気持ちだろうかと思っただけ、だがその先を言えなかった。突然、小屋の扉を開け、当のセルゲイがいつもの倍は陰気な顔でずかずか入ってきたからだ。
「……ほう、暖かくしてもらったか。良かったな」 
 挨拶もできず突っ立っている二人には目もくれず、彼は手を伸ばしエヴィーの頭を撫でた。
「セルゲイさん、こんにちは。今日は、何か?」
 礼儀正しく尋ねたハルには答えず、セルゲイはウィルを正面から睨みつけた。
「ロックダムに何をした?」
 エヴィーの掛け布を握ったまま無言のウィルに、厳しく繰り返す。
「答えなさい。わしにはわかる。何をした」
「何って……何も……走っただけです、森で、泊り駆けで」
「自分がしたことを忘れたか? 忘れたふりをしているのか? ハルミ、ウィリアムから聞いていないか」
「僕? 何も聞いていませんが……ロックがどうかしたんですか。具合が悪いとか」
「今は平静だ。今はな。ええい、面倒だ、言おう。ウィリアム、ロックダムのスタミナが切れるまで走っただろう。あれを殺しかけたろう。わしの目は誤魔化せんぞ」
「殺しかけた!? どういうこと」
 ハルが目を剥いた。エヴィーの向こうからウィルをまっすぐ見、繰り返した。「どういうことさ。言ってよ、ウィル」
「どういうことって、別に。セルゲイさんが言ったとおりだけど。森で、全速力で走ったら、急に止まって、座り込んじまったんだ。ルロウの竜使いからシールド・ポールを取り返すとき。追いかけるのに夢中だったんだ、だから」
 言いながら、腹の底が小刻みに震えだした。なんでだ。別に恥ずかしいことじゃない。ロックはピンピンしてるし、二度としなければいい話だし。なのに、こっちをじっと見つめるハル、こっちを睨み続けるセルゲイに囲まれて、小さな震えが止まらない。なんでだ、畜生――
「確かにそんなことがあったけど、だったらなんだよ。ハルに報告する義務なんかないぞ」
「義務とかそんなことじゃないよ。いつも変わったことがあったら、必ず話してくれたじゃないか。どうして……」
「別に俺、なにもかもハルに話してるわけじゃない。話さないことだってある!」
 なんでだ、声がひっくり返りそうになる。掛け布をぐっと握り、精いっぱい低い声で怒鳴りつけた。
「それにそうだ、ハルこそ俺に隠し事をしたじゃないか。ラタのことだ。俺のことばかり言えるかよ!」