29.震えと怖れ#8

「ああこら、止めろ! わしがいま聞きたいのは、そんなことじゃない」
 セルゲイが割って入った。頭を掻いている。
 入ってきたときよりずっと穏やかな声で、彼はハルに外してくれと言った。ハルは黙って出て行った。
 小屋に静けさが戻った。ウィルの肩を小突くようにして甘えてくるシーサのせわしない鼻息だけが響く。
 エヴィーの頭を撫で続けていたセルゲイは、やがて大きく肩を落とし、こちらも見ずに言った。
「わしの小言が嫌なら、帰るがな。その結果がどうなろうとお前が招いたことだ。今はルロウの竜使いもいる、お前が乗れなくなったとしても、代わりはいるのだ、三人も――この意味が、わかるな」
「わかり、ません」
 今度こそ、声ははっきりと震えていた。止めようがなかった。
「たしかに、俺、失敗した、けど、たかが、一回――」
「ウィリアム、落ち着け。よくわかった。お前は自分のしたことから逃げきれるほど器用な人間ではない。見てみろ、膝まで震えているぞ。こんなこと、わしに言わせるな」
 彼は腕をうんと伸ばした。ウィルの頭の上へ。乱暴にくしゃっと髪を掴み、左右に降った。
「さあ、サムの息子だろう。なにがあったか教えてくれ。訊きかたが悪かったか? よし、こうしよう。どんなふうにルロウの竜使いとやりあったか、聞かせてくれ。いっしょに話しておきたいことがあるなら、それも話せ。ゆっくりでいいぞ」
 カチカチに凍っていたものが、端のほうから融けだしたような気がした。
 うつむいたまま、話し出した。夜、真っ暗なミード草のトンネルを抜け出発したところから。ニッガの林、バーキン草原、バルワ大河を越え白い道を横ぎり丘陵地帯へ。月を照り返す丘を一晩じゅう駆けたこと。夜明け前に宿泊テントに着き、パドの悪行を見つけ腹が立ったこと。そのまま走り続けパドに追いつき、ポール第四地点を前にして光弾を放ち勝ったこと――
 ゆっくり、あったことをそのまま話すうちに、膝の震えは止まった。掛け布を握る手が緩んだ。声も元に戻った。セルゲイは一度も遮らず聞いてくれた。ポールを埋め、休憩してから宿泊テントに戻ったら、パドが我が物顔で食料をがっついていた。呆れて帰ろうとしたら追いかけてきて、ロックが綺麗だとか余計なことを際限なく喋って、いいかげん嫌気がさして、奴を振り切って帰ってきた――
 全部、話し終えた。あることひとつを除いては。口を閉じたウィルに、セルゲイが短く言った。
「終わりか?」
「まだです。途中、走るのに夢中で、ロックのことを気に掛けてやるのを忘れました。そしたら突然ロックが止まって、倒れて、目が濁ってぐったりして。どうしていいかわからなかった。ルロウの竜使いが処置を教えてくれたので助かりました」
「ふむ。それは良かった。ところで、それはいつの話だ?」
 それを考えていた。いつの話か。もちろん忘れてはいない。だが話せば、ハルに嘘をついたことがわかってしまう。嘘をつくつもりなんか、無かったんだ。勢いに任せて言ったら、なぜか話の順番がおかしくなっていたんだ。どうしてあんなこと、言ってしまったんだろう。