09.遭遇 #8

 ぐん、体が強く後ろに揺れる。
 エヴィーが加速したのだ。上着が吹きちぎれそうにはためく。
 竜のダッシュは、その途方もないパワーを解き放ち、後ろから吹き付けていた風を追い越した。今までの駆け足とは比べ物にならない。耳元から、あの不気味な音が消えた。聞こえてくるのは、正面から吹き付ける風がゴウゴウと唸る音だけ。
 ウィルは振り返った。
 虫の大群との距離が、大きく開いていた。黒い雲のようなその塊を、エヴィーはさらに引き離していく。
 やったぞ!と有頂天になりかけ、ウィルは気を引き締めた。
 レオン・セルゲイの言葉を思い出したのだ。騎乗を手ほどきしてくれたとき、彼は警告した。『ダッシュは長くはもたんぞ。あまりあてにしないほうがいい』と――
 ウィルは油断なく後ろを確認しながら、エヴィーを林へと向かわせた。ともかく、ここを離れよう。
 頭の中で、林へ帰る道筋を描く。
 目が草原の上でそのコースをトレースし、体が無意識に右へ傾斜する。
 素晴らしい速度を保ったまま、エヴィーが右へ流れるように弧を描いて走った。
 最後に右後方を振り返ったとき、黒い雲はすでに点のように小さくなって、元の草叢へと帰っていくところだった。
 と同時に、エヴィーのスピードが急に落ちた。
 吹き付けていた風が急速に弱まり、景色の動きも鈍くなる。
 手綱をちょんと引いた。もう、走る必要は無い。エヴィーが、並足に戻った。
 鞍の下を走るエヴィーの血管が、大きく早く脈打っているのを感じた。――無理をさせたかな。ちらりと、そう考えた。
 そのままゆっくり進み続け、林の入り口にたどり着いた所で、エヴィーを止めた。
 皮袋から水をやり、小休止を取る。
 ご苦労さん、と撫でてやった老竜の鼓動が落ち着くのを、ウィルはしばらく待つことにした。
 
 戻った林は、ずいぶん見通しが悪い。
 今までは、こんなものだと思っていたが、あれだけ明るく開放的な草原から帰ってくると、ものすごく暗く感じる。
 ・・・今日は、このまま帰ろう。
 ウィルは、自分が疲れているのを感じた。体が、というより、神経が疲れていた。思った以上に、自分は朝から緊張の連続だったらしい。この林で得体の知れない音や影や気配に囲まれ、新しい場所で、見たことも無い生き物に遭い、攻撃されて・・・。