Rage-回復

どうしようもなく強い負の感情って、みんなはどうやって治めているのかな。
怒りとか、不安とか、悲しみとか。
私には、わからないのです。
強すぎる感情は、心の奥底に封じてしまうものなのかな。
ぎゃーっと怒って泣いて笑えば、消えてしまうものなのかな。
時とともに、いつのまにか薄まり忘れるものなのかな。

* * *

私はかつて、なにが起きても、自分の感情を瞬時に治められる場所を持っていた。
人のいない夜、そこにひとり座り、こころを取り出して眺めることが好きだった。
その場所はいつも綺麗に清められていて、灯りが燈っていて、すがすがしかった。
人が祈る場所として、とてもたいせつにされていた。
そこでは怒りも、不安も、悲しみも、大いなる存在に預けることができて、
軽くなったこころで、自分の内と外とを丁寧に振り返ることができて、
自分の弱さを許し、諌め、奮い立たせ、私には回復する力があると思い出し、
明日からは自分ができる精一杯のことをし、結果がどうあれこだわらないでおこうと、
私は私の内から出た解答に腹の底から納得し、そして回復することができた。

あそこは本来、そういう場所じゃなかったかもしれない。
偉い人が書いた「正解」をなぞり、実践するための場所だったかもしれない。
でも私は疑いを持ち続けていたから、自分の都合のいいように使った。
他人が出した解など要らない。癒されたくもない。まして裁かれたくはない。
答えは自分で考えたい。荒れたこころを整えるための支援が欲しかっただけだ。

あの場所には私を支援する「なにか」があった。静かで、暖かく、豊かな「なにか」
(うまく言葉で現せない。あれは体感することでしかわからないと思う)
あの場所は、もう無い。
なにを思ってもよい、なにを考えてもよい、という自由があると知った私は、
疑いを抱きながら信じるフリをすることを止めた。そのとき一緒に失くした。
本当は、あの場所だけは欲しかった。回復する場所、私自身と向き合う場所。
けれどそんな勝手は許されないから、私自身が許さないから、あきらめた。

ひとつの希望があった。
疑いを抱いた私でも、あの場所で回復できたということは、
あの「なにか」は、信じろと教えられたモノの働きではなく、
私のなかに存在するモノの働きではないか、私の最良の一部が為す業(わざ)ではないか、
私のような者のなかにそれがあるなら、誰のなかにもあるのだろう、
全ての人の精神に宿っているのだろう、だから大丈夫。たぶん、きっと。

それから私は「人の心と精神」に深い興味を寄せるようになり、
孤独癖を矯め、人とのコミュニケーションを大事にするようになった。

* * *

【怒り】に支配された二十日間、
もしあの場所に戻れたなら、私は【私の怒り】を一晩で治めただろう。
けれどもう戻れないから、私はこの世界で「人の心と精神」を訪ね回った。

いろいろな人がいろいろなことを書いていた。
弱いこころを現した表現は、私の弱さを許してくれた、
優しいこころを現した表現は、私を諌めてくれた、
強いこころを現した表現は、私を奮い立たたせてくれた、
そしてそれらを包む圧倒的な数の、なにげない日常を楽しく綴った表現たち、
きっとさまざまな苦悩を負っているであろう人々が書く喜びの表現たちが、
私には回復する力があると思い出させてくれた。

私は【怒り】を治め、これからどうするか解を見つけ、納得しました。
私は回復しました。もう大丈夫。ありがとうございます。

私に理解の言葉をかけてくださったかたがた、
私が荒らした後を収めてくださったたかたがた(私のためにではないとしても)、
ありがとうございます。ありがたいことです。

* * *

私の言葉は、表現は、あなたの目にどんなふうに映っているのかな。
私には、わからないのです。
あちらの世界で私は異質だった。こちらの世界でもそうなのかな。

私はこの仮想世界で、
私の人間性ではなく、私の表現を評価する人達によって支持されたい。
ここに居るのは偏屈なことばかり書く妄想とりです。それでも宜しければ、



ようこそ。わたりとりの書庫へようこそ。うひょひょ^^




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