38.答えあわせ#7

 押し黙っているウィルを下から見上げるようにして、ハヴェオは繰り返した。
「『あの人』はやめたほうがいい。父親でなかったとしても、そういうふうに呼ぶのは……今までどおりで良いのではないかね」
 妙な話になってきた。言いたいことを言ったらすぐ出ようと思っていたのに、こんなことでハヴェオに説教されるなんて。生まれたときから見守ってくれていたレオン・セルゲイならともかく。ウィルはむっと言い返した。
「そんな気にならないんです。呼び方を押し付けられるくらいなら、あの人の話はもうしません」
「押し付けようというんじゃない。呼び方ひとつで相手への気持ちが変わる、変わったまま固まってしまうことがあるから、慎重になったほうがいいと言っている。君の呼び方は、なんというか……サムソン氏のことなど考えたくもないというふうに聞こえるぞ。君は彼のことを他人と言ったな。他人というより、顔さえ知らないよそ者にしたがっているように聞こえる。君を息子として育てた人間を、そんなふうに片付けてしまっていいのかね」
 一瞬、頭がぐらっとした。
 薄々そうじゃないかと感じながら考えたくなかった部分を、一撃された気がした。
 本当の息子じゃないと知ってどう呼んでいいかわからなくなった、だから『あの人』と呼び出した。始めはそれだけの理由だった。けれど、しだいにその呼び方は自分の中に根を降ろし、これが一番いいやりかただと感じるようになった。名前を呼んだら、あの人の顔や声が浮かんでしまう。父さんと呼んだら、一緒に暮らしてきた今までのことを思い出してしまう。それは自分の気持ちをいやに掻き乱しそうだった。『あの人』と呼べば、顔も声も黒く塗りつぶしたまま、思い出は無かったことにしたまま、話を済ませることができる。
 あの人がもう居ないのをいいことに、ひどいことをしている。自分でも薄々わかっている。でも、やめられない。
「どうしてそんなこと、あなたにわかるんですか」
 言ってから、しまったと思った。これじゃあんたの言ったとおりと認めたようなものだ。ハヴェオを相手に弱みなんか見せたくない。
 だがハヴェオは勝ち誇る様子もなく、陰鬱な顔を洗うように両手でこすり、答えた。
「今の君に似た人物をよく知っているからだ。――まあ、その話はいい。呼び方に悩んだあげく呼ぶことじたいを避けるほうがずっと拙(まず)い。『あの人』でもなんでも、呼ばないよりはマシだ……ただ、なんと言うかな、生んだ子だろうが育てた子だろうが、一緒に暮らした子どもからそんなふうに呼ばれたら、親は辛(つら)いだろうと思っただけだ。余計なことを言ってすまなかった」
 ハヴェオに頭を下げられ、居心地が悪くて仕方がなかった。返事のしようがない。
 下を向き、手持ちぶさたに足踏みを始めたウィルを見て、ハヴェオは戸布のほうへ顎をしゃくった。
「気分を悪くしたなら、私が最後に言ったことは忘れていい。君の話は、よくわかった……出なさい」
 言われるまま、ふらふらと戸布を押し開き外に出た。眩しい陽射しでさらに頭がぐらっとする。
 変な感じだった。入る前は、意外な話でハヴェオを出し抜いて、ぽかんとさせて、悠々と出てこられると思っていた。なのに今は、立たされていた生徒が先生から帰っていいぞとやっと許された、そんな気分だ。ハヴェオは大人で自分はまだまだ子どもなのに、その差を侮って生意気言ってゴツンと叱られた、そんな気分だ。