40.選ばれし民#8

「……お呼びしますか、そのかたを」
 問いに、いいやとガランは答える。「時間がない」
「では私が代わりに、聞き役を務めます。彼女には、明日にでも記録を再生してお見せしましょう」
 ファリウスもついに、クスクス笑いだした。ガランの瑞々(みずみず)しい声が続く。
「私はどうしてもここに来たかったんだ。父と仲間たちから追放されたとき、ここにたどり着くまで死んでたまるかと思った。意地だね。だが私ひとりでは旅をできない。私の旅は他人の力を必要とする。力を手に入れるために、あらゆることをしたんだよ。いろいろやったなあ。知りたいかい?」
 ファリウスがうなずく前に、ガランはもう口を開いている。
「私はまず、論理的な言葉で人を動かそうとした。駄目だった。あれは衝撃だったな。ガーン、というカンジだな。あなたがたを動かすのは論理でなく感情だと私は知った。そこで、あなたがたの流儀をよく観察して、話しかたを覚えて、人を煽動することを試した。人の不満の心を利用して、みなに共通の敵をひとり仕立て上げ指差して、後ろで不安の種を蒔く。種は勝手に芽を出し育ってくれる。面白いものだ。だがすぐに、あちこちで破綻したね。次は人の、好かれたい認められたいという心を利用した。私の言葉を甘くし、ありがたさが増すよう数に限りをもたせ、贈り物のようにするのだ。人を飼い馴らす、というのかな。あれはけっこう長持ちしたが……ひと握りの人間には効かなかった。そこから覆されそうになって、私は逃げ出した。砂漠でひからびそうに彷徨いながら、なにが間違っていたのだろうと考え続けた――」
 ちょっと言葉を切った後、ガランは「そして、カピタル」と呟いた。
「運良く、カピタルの竜使いに拾われた。キャンプに連れ帰られ、弱っていた私はある人の世話になった。その人は先生だった。若い、美しい」
「さっき、名を呼んだかたですか」
「うん。……ここだけ記録を切ってくれないか。口が滑った」
「もう遅いですよ――そのかたが、どうされたんです?」
「不思議な人だった。なにひとつ自分のために事を為さない、他人のためにばかり働くのに、みな吸い寄せらるように彼女を慕い、彼女に力を貸すことを惜しまない。それをじいっと観察して、私は彼女のやりかたを学んだ。彼女にそれを話したら、お説教されたよ。それは学ぶとはいいません、真似るというのです、はじめのうちはいいけれどきっとすぐつらくなりますよ、だって。悔しいから、彼女のこころもちも学んで、自分に合うやりかたを考えて、いろいろ工夫したんだ。偉いだろう? 我ながら健気(けなげ)だったと思うよ。――あれいらい、私のこころも少しは人らしくなった。少しだけ、ね」
 ファリウスがゆっくり首を振る。
「少しだけ、には見えませんが……彼女のこころを学んだのでしょう?」
「そうだよ。いつでも彼女のこころを私のこころの隣に置いて。今、あなたと話しているように、さしむかいで話し合って。――だが私自身のこころは変わっていない。首都を出た頃と、なにも」
 ガランの頭がかすかに動く。ファリウスが察して立ち上がり、斜めに傾けていたガラン首をゆっくり正面に戻す。満天の星を仰ぎ、ガランは語る。
「私のこころは単純のきわみさ。ここにたどり着きたい、ただそれだけだ。そのためにはなんだってやる、あらゆる人と資源を利用し、どんな手を使ってでも障害を踏み越えてみせる。なにもかも、すべては、私ひとりのため――そうだ、話すのを忘れていた。私はね、首都で、この森を研修する仕事をしていたんだよ。ほん数年だったが」
 ああ! とファリウスがうめく。それで全て腑に落ちたというふうに。
「この場所は、研究仲間の憧れの場所だった。一度でいいから、ここに寝ころんで、こうやって森の懐に抱かれて、星空を眺めたいものだって、仲間とよく言い合ったなあ。なつかしいなあ。――その星を私は見ている。八十年の旅の果てに――夢のようだ。夢かもしれない。きっと夢だ――とてもいい夢だ――夢が覚めないうちに、眠りたい」
 ファリウスが身をかがめる。指をひくつかせたガランの右手と動かない左手とをあわせ、両手で胸元に引き寄せ、じっと握りしめる。どちらともなく、さようなら、という言葉が交わされた。
 やがてそっとファリウスが両手を開く。
 ガランの両腕は下に落ちなかった。空に高く差し伸べられた。それは新月祭で、焚き火を背にして、みなに語りかけようとするしぐさにも似ていた。
 ガランの最後の言葉が、星空へ放たれた。
「さようなら。おやすみ。ありがとう。私をここに導いた、すべての人と巡りあわせとに、私は感謝する!」

イメージ 1「Capital Forest」 -選ばれし民- 完話>>>次章 -惑いの底-