41.惑いの底#6

 持ち帰った水を沸かしていると、シンが帰って来た。すすめた椅子に腰掛けながら厳しい声で言った。
「竜も動かしていないだろう。お前はともかく、竜だけは運動させておけ」
「運動って、散歩とか? それは……」
 自分ひとりですら見られたくないのに、後ろにシーサを引き連れてほっつき歩いているところを見られたら、なんと噂されるか――と首を振りかけ、待てよと思った。俺、こんな状況で、なんでまだ他人の目なんか気にしてるんだろう。あと数日で、メルトダウンが全部を消し去るかもしれないのに。そうでなかったとしても、俺がこのままなら、いつか必ず明るみに出る話なのに。
 黙りこんだウィルの横で、シンは沸いた湯に手を伸ばし、重ねてあったカップを取って勝手に茶を注ぎだした。それから、話題をエヴィーに転じた。だいぶ弱っているように見えると。「もう歳だから」と答えたウィルに、シンは軽く首を振った。
「それだけではないように見えるが……以前、こんなパルヴィスがいた。マスターの合図ならばどんな命令でも聞く、まさにマスターと一心同体といった竜だった。マスターが体調を崩すと、いっしょになって調子が悪くなるほどのな。マスターが死んだとき、後を追うようにして死んだ……まあ、その竜も、いつ死んでもおかしくない歳ではあったが」
「死ぬって、そんな脅かさないでくれよ!――あ、そうか。俺がピンピンしてるんだから、それはないのか。そういえば、以前あのひ――父が死んだとき、エヴィーもしばらく不調だった。その後、急に老け込んだし。パルヴィスって不思議だな」
 シンがカップをゆらゆら揺らして言う。
「確かに不思議だ。何を基準に人を乗せるのか、マスターを選ぶのか、何をもって乗り手を見限るのか――俺には、わからん」
「シンが? まさか」
「まさかとはどういう意味だ。わからんものは、わからん」
 シンは腕組みをする。本気で心外だと思っているようだ。ウィルは食い下がった。
「だって、純血に乗ってるだろ。マスターなんだろ? マスターがどうあるべきかわかった竜使いが、マスターになるんじゃないのか? 俺、いろいろ考えて――その、自分に本当に自信を持てたとき、マスターになれるんだと思ってた」
 言いながら、昨晩のことを思い返した。
 自分で自分自身の問題を引き受けよう、と覚悟したとき、即座に、これで乗れるんじゃないかという気がした。これこそがマスターの資格だったんじゃないかと。だが、相変わらず後ずさるシーサを見て、また少しグラついたのだ。俺の覚悟はまだ中途半端だってことなのか。
「俺も、あと十年たてば、あんたやパドみたいになれると思ってた。自分に自信をもてる男に。そうしたらマスターにもなれるだろうって――」
「自信ねえ。そう見えるか、俺が」
 シンの声には不思議な響きがあった。ウィルは内心、首をかしげた。
「見えるさ。自信満々に見える。実際、そうなんだろう。違うのか」