あぶブロ11回顧録 #3

私のサブ・ブログ「あぶないブロガー11」をネタにだらだら語るシリーズ、第3段。
 ◆あぶブロ11回顧録#1 ◆あぶブロ11回顧録#2




私のサブ・ブログはいつも閑古鳥。更新した数日だけ人で賑わって後はシーーンとさびれる日々が続きます。近所のナントカ八幡宮の境内みたい。大家八幡宮に新たなる天災の仔細をかしこみかしこもうす、とたまに祝詞(のりと)が奏上されますが、浮世の流れからはちっと浮いてます。

2006年11月、私はこのさびれた境内から、善意之天災に端を発したあれやこれやを眺めていました。んで、あれやこれや考えた。ある出来事を思い出しながら。




1999年9月30日から数日間。
茨城県東海村で起きた原子力事故(臨界事故)のニュースを見ながら、私はYahoo!掲示板もウォッチしていた。
私が見ていた板は、けっこうな勢いで書き込みが続いていた。そんななか、東海村に住んでいるという書き込み者が現れる。ニュースを見ても、逃げたほうが良いのか屋内で待機したほうが良いのかわからない、役場からも情報が来ない、すがる思いでネットの情報を見ている、といった内容だった。
相談を受けて、書き込み者の一人が中性子線の人体への影響を解説し、「とくに妊婦は危険だ、胎児に影響が出る」といった内容で、遠くへ避難するよう勧めた。

私は、「怖い」と感じた。大きな波紋を描くはじめの一投石を目の前で見た、そんな気がした。
あの掲示板には「不安に駆られている人間を突き動かす」要素が揃っていた。飛び交う専門用語、客観的で冷静に見える文章、高度な知識を披露する複数の書き込み者。シロウトには、信頼に足る情報がたくさん載っている掲示板と見える。そこに「妊婦」「胎児への影響」という、人の不安を煽り立てる単語と、避難したほうがいいという、具体的な行動を誘う言葉が乗ったわけだ。
(すべて同一人物の発言ではなかったはずだが、流れの早い掲示板では、読み手は書き込み者ひとりひとりの発言の信頼性ではなく、掲示板全体を眺めた印象で情報の信頼性を測ってしまうと考える)

不確かな情勢のなかで、匿名者が安易に発言すること・助言することの怖さ。発言を受けて見ず知らずの他人が重大な選択を為してしまうことの怖さ。選択の結末に誰も責任を取れない・取らないことの怖さ。ひとつの渦が発生しとめどもなく拡大してゆく怖さ。

あのとき、現地のかたが何人ROMしていたかはわからない。もしその数が三桁を越えていたなら・・・おそらく「数十キロ圏外へ逃げる」行動に出た人がいただろうと、私は感じる。そうして、最初の行動者数人から「逃げたほうがいい」という動機づけが隣人・知人に感染してゆき、パニックを引き起こした可能性もあったと感じる。

もし掲示板の流れが「すぐ避難するべきだ」に傾くなら、私はROM専から降りて、「落ち着いて、信頼できる機関からの情報を待つべきだ」と意見を書き込もうと思った。しかし他の書き込み者から同様の抑えがかかり、避難を勧めた書き込み者も、それ以上は勧めなかった。相談者も「じゃあそうします」とは書かなかった。掲示板の流れは、私が心配した方向には行かなかった。本当に良かったと思う。
(※途中でROMを打ち切ったので、やりとりを最後まで追ってはいない)




長い目で未来を見れば、いつかどこかで必ず、東海村原子力事故に匹敵する事件がまた起きる。「いますぐ動くべきか・どう動くべきか・それとも待機するべきか」というギリギリの選択をひとりひとりが迫られる、そういう事件がまた起きる。災害か、大規模な事故か、あるいは紛争か。

選択を迫られるとき、【当事者】にとって、判断の決め手となるもっとも有益な、そして信頼性の高い情報を提供してくれるのは誰だろう。マスコミか? 政府か? ・・・どうだろうか。わからない。
情報操作の可能性があるからではなく(私はそういった懐疑論をあまり好まないのです)、権威ある報道や為政者の情報発信は「優先順位」に基づいてなされているから、後ろの順位に位置づけられている人々や、順位付けからそもそも外れている人々は、待ちぼうけになる可能性がある、と思っておりまして。

ネットは今後ますます、そういった「とりこぼされた人々」の情報源として頼りにされてゆくのだろうな。そのとき、「正しい・適切な・最新の情報」を発信してくれる優良なサイトと「とりこぼされた人々」とが、いち早く出会うことができるシステムであるとか、そうできるネット慣習が整備され定着していたらいいなと思う(やっぱり決め手は教育かなぁ・・・)。もうほとんど、祈るような気持ちですが。

そういったシステムなり慣習なりが整うまでは・・・非常事態が発生したとき、メールで、掲示板で、SNSで、ブログで。デマ情報や、デマとまでは言わないがパニックを引き起こしかねない無責任な情報が、転載につぐ転載であふれ蔓延(はびこ)ることじたいは、止められないのだろう。
それでも、被害を最小限にくいとめる手はある。チェーンテキストの危険性を地道に啓発されているかたがたに、私は敬意を表します。

Y!B転載機能がなくてもチェーンテキストは生まれる。けれど、あの機能にはチェーンを大きく加速させ広げる力がある。私は、あの機能に内在している【強すぎる情報伝播力】こそが撤去の理由に値すると思っている。
そして、そういう機能をデフォルト可で、ネットリテラシー情報リテラシーも充分とはいいがたいY!Bユーザー層に持たせている大家のお気楽さに、アホちゃうかと思う。アタマに花でも咲いてるんじゃねぇか。

てことで。
大家八幡宮に奏上したい祝詞はまだあります。そのうち上げます。かしこみかしこみもうす。