鏡、神々、戦わぬ道 #9

向上心という言葉がキライだ。

他人から組織からこう評価されたいとか、自分はこうなりたいとか、そういう欲は、いい。持続力の源泉になりうるから。努力を努力とも感じずに、次なる高みへと自分で自分を導ける。自分を動機付けできる人は強い。
稀には、自分を一個の【完成品】に磨き上げたいという「向上の欲求」を持つ人も、いるかもしれない。自分の能力を高め社会と調和することで豊かな人生を送りたいという、非の打ちどころのない理想が、その人の中の最上の価値であり欲求だという状態。すごい人だ。疲れなければいいけれど。

私がキライな「向上心」は、「人間やっぱり努力しなきゃ、向上しなきゃね」みたいな、みょーな強迫観が垣間見えるヤツのこと。これがイヤ。「人間やっぱり」ってやっぱりってなんだよ。いつそんなふうに人間全般が規程されたのですか誰によって。
この向上心に憑りつかれ、うっかり他人から「あの人は向上心のある人だ」などと認定されたら最後、やめたくなってもやめられない、絶え間なく向上し続けなければならない。たまったもんではない。やめどきとやめる理由を持たないままインフレーションしていく行為って、私はたんにコワい。一種の中毒に見える。なにかに脳を支配されてやしませんか。

「発展せよ」が至上命題の経済社会では、個人もまた発展向上する存在だという思想が幅を利かせるのだろうか。

私は弱くていいかげんな人間だから、人はみな自分を向上させるべきだなどという御高説は気分が悪い。
言わねばならぬなら、せめて「社会への適応能力を伸ばすことを【向上】と呼びます。生きやすくなるので向上することをおすすめします」と言いたい。さらに私は意地悪なので、ヤル気になった人に、こう続けて言いたい。
「ただし現代は技術の進歩と社会の変化が早いので、向上し続けなければ新たな適応ができません。置いてけぼりがイヤなら向上し続けるしかない。シンドイねえ」

 * * *

年々、あらゆるシステムが複雑になってゆくように感じる。あらゆる場所で。加速度的に。
人々のニーズはどんどん細分化し高度化してゆく。ほんのわずかな差異を出す為にあるいは埋めるために仕様の変更が繰り返される。神経症的に追求される完璧さと均質さ。規格にわずかでも合わないものは不良であり役立たずだ。
あれもこれもが意外な関係性をもって繋がり複雑に絡み合い制御しあっている、そういうシステムの上に、現代社会が築かれている。ほんの一点の不備、人の悪気のない不注意、ちょっとしたコミュニケーションの怠慢か行き違いかが、深刻な事態を招く。
多くの組織はそれらを、ITシステムの導入、業務の品質改善、コミュニケーション質量の向上などによって克服しようとしているが。が。さいげんなく人々の欲求と要求は膨れてゆき、いっときでも速く対応せよと時間に追い立てられ、一度の過失でメディアとネットによって無節操に断罪されかねない。強いストレスが日常を支配する環境のもと、目標を達成することは容易ではない。

事故や不祥事のニュースを見るたびに、私は思う。
なんとか予防できなかったものか。しかし・・・なかには本当に怠惰な横着な組織もあるだろうが・・・ほとんどの組織には、それなりの言い分があるのではないか。「わかっている、わかってはいた、だが間に合わなかったのだ」と。いつか、私も、あちら側に立つ日がくるかもしれない。

高度に統制された組織ならば、克服可能な課題かもしれない。しかし高度に統制された組織はまた、別の課題を抱えているだろう。
大掛かりかつ微細なシステムから生まれたリスクを予防するために、システムもコミュニケーションもますます複雑微細になっている、つまり、ますます解決困難なリスクをますます奥深くに抱えているのではないか。
それが表に出ないよう制御し続けているマネージャーと構成員。強いストレスに晒されながら自分のモチベーションを落とさぬよう「向上」し続ける資質と、高いコミュニケーション能力を買われて組織されているのだろう。しかし、人の体力と耐性には限界がある。どれだけ優秀な人でも。

私は比較的ゆったりした職場にいる。まだ追い込まれていない。余力はある。
だがこのまま加速が続けば、いつか限界がくる。私は自分の体力と耐性をよく知っている。このあたりだなと天井が見えている。天井はこれ以上高くはならない。

数年後ということはないだろうが、十数年後か、あるいは数十年後には、「発展と向上」が神と崇められているこの流れにも変化のときがくるだろう。異なる価値を擁する者達によって突き壊されるか、脱落者の多さによって空洞化し崩れるか。できることなら、内部からの検証によって穏やかに揺り戻して欲しいものだが。
その日まで、私は、私自身を守りながらゆるゆる進むつもりだ。過剰な加速を牽制し、軌道修正をかけながら、仲間達を切り捨てるような真似をせずに済むことを願いつつ、行けるところまで。


私はこの流れに正面きって抗わない。離脱もしない。だが取り込まれない。まして潰されはしない。
私は戦わない。戦わないという、闘いかたを選ぶ。