#12.「組織」という主体への要請-「その先」を想う

しばらくごたごたと並べます。説明はあとで。

(1-a)製品管理:品質管理,品質保証,品質向上
(1-b)諸法令:JIS規格,PL法(製造物責任法),消費者基本法(旧:消費者保護基本法),個人情報保護法
(1-c)品質マネジメント:SQC(統計的品質管理),TQC(トータル品質管理),TQM(総合的品質管理),シックスシグマ,ISO9000
(2-a)顧客主導の潮流:プロダクトアウトからマーケットイン
(2-b)顧客心理へのアプローチ:ハインリッヒの法則,(いわゆる)グッドマン理論(※こちらにも注意:「グッドマンの法則」についての警告
(2-c)企業の顧客認識の変化:CS(顧客満足),顧客ロイヤリティ,顧客生涯価値
(2-d)顧客とのコミュニケーション強化:アフターサービス,コールセンター(コンタクトセンター),SFA(営業支援)システム,CRM(顧客関係管理)システム
(3-a)顧客戦略と経営理論の統合:バランスト・スコアカード,MB賞

「顧客」というステークホルダーに企業がどう相対しているか。もちろん企業ごとに異なるのだが、用語の字面を追うと潮流を眺めることができるので並べてみた。以下にざっくり記す。
■規格品を作れば良いという時代から、アフターサービスの質までが問われる時代を経て、現在は、顧客(※未来の顧客を含む)の要求にきめ細やかに応える商品・サービスを提供し、顧客満足度を恒常的に高めることで、顧客との長期的パートナーシップを築いてゆくことが経営課題とされている。(1-a)(2-c)(2-d)(3-a)
■「品質管理」「品質向上」という言葉は、モノの品質だけでなく、サービス品質、モノとサービスを生み出している業務の品質までを指すようになった。(1-c)
■「モノ」→「+ サービス」→「+ 情報」、「作り手主導」→「消費者主導」、「クオリティ(測定できる品質)」→「+ クオリア(計測できない人の感覚質)」、「市場マーケティング」→「+ 顧客リレーションシップ」、「コントロール」→「+ マネジメント」。
■「人の感覚質」と「長期的関係」とが重視される必然として、きめ細やかで情緒的な情報ほど高い価値が付される。情報化社会から、情報の付加価値が重視される社会へ。

これらを変遷と見るか発達と見るかは人によるだろう。どちらにせよ、企業が勝ち残るための戦略・生き残るための処方箋として発見されてきたもので、企業倫理から演繹的に導かれたものではない。が、企業倫理の領域と交差する。「欠陥の無い安全な商品の提供」「顧客への情報開示」「適正価格での保守サービス」等へのコミットメントが含まれているから。
私が知るかぎり、いま、何かを作って売ったはいいが後は知らんと顧客の声を公然と無視するような日本企業は多くない。あったとしても真っ当な経営体とは認定されない。顧客からの信用・信頼を継続させるために相当額を投資する企業が多い。この流れは後戻りしないだろう。

法令・行政による規範の設計・規制は確かにあり、それらが企業の行動を紀律することは確かだ。しかしこの領域に関しては、規格・法令・行政指導等によって企業ががんじ搦めに拘束されているといった印象を私は持たない。ISO認証取得など厳しい規格を自発的にクリアするなかから、自社の商品と業務プロセスを積極的に見直そうとする企業は少なくない。
「なんらかの利益が得られる」という合理的な勝算があれば、企業は直接対価を得られない価値にもコミットする。投資・金融・商品・労働市場での信用といった測り難い価値でもよい。それはコストではなく投資活動だから。

なお、私はこの領域の功労ワードに「CS(顧客満足)」挙げる。この用語が登場するまで、顧客からの様々な要求・・・商品が無欠陥であること、自分の嗜好への適合、適切な選択を助ける情報の提供、取り扱い説明の提示、アフターケアの保障・・・などは、企業にとって個別に発生する煩わしいコストでしかなかった。しかし「CS」によって、顧客から発されるあらゆる要求の感受は、企業と顧客との関係性を強化する契機だという価値転換がなされている。この分野で先行する企業は、今までに無い顧客満足(=顧客の要求)を積極的に発掘し先んじてアプローチしようとしている。

企業倫理の可能性と限界

「倫理」とは、個人に根ざしながら個人を問わず普遍的に流通するべき規範であって、流動的なものとは思われない。
しかし企業倫理は普遍というにはあまりに変化が激しい概念に私には思える。特定個人の価値観ではなく組織の意思として合議され具体的に練られるべきものであるし、「変遷」「発達」というダイナミズムを無視して論じることはできないものだ。
ここまで性質の異なるものを同じ「倫理」と呼んでよいのか自信はないが、とりあえず企業倫理もまた「倫理」・・・以前述べた「倫理=外的規範を包摂した内的規範」という定義の枠内で話を進める。

企業の「顧客戦略の変化」が「社会・市場・顧客に対する応答責任の強化」につながったことは、変遷の結果にすぎない。こんなものを倫理と呼ぶのか、という評論は当然あるだろう。
しかし私は、企業の「突き詰められた利己性」が「利他性」に転換したという事実を、重く見ている。劇的な転換だと感じるのだ。この【契機】に至る可能性があるならば、奇形には見えるけれども、変遷し発達し続けるという企業倫理のあり方を私は肯定したい。日本企業の現在の倫理規範がまったく不十分なものであったとしても。

企業に内在する「自己発展」への希求、この動力を否定せずに最大化したところで倫理が自発的に編成されるなら、その実行性と実効性は、人の善性にのみ期待して編成された倫理のそれを大きく上回ってゆくだろう。私はその可能性を、高く見積もってはいないが、低く見限ってもいない。
※「実行性と実効性」における対比であって、それ以外の性質の比較ではない。念のため。

問題点として。
企業体は外部に向かってなんらかの価値を提供し対価を得ることを目的に創設されている。その意思は、外部環境の変化・外部からの要請をただ感受するのみならず、それらを客観的に測量したうえで、編み上げられてゆかなければならない。倫理規範も例外ではない。
この点において、企業倫理は「明確な要請がなければ応答の必要もない」という不作為の危険性を内在させている。が、私はそれも自覚したうえで、企業体においてはそれでも良いと考える。企業体に必要なものは、社会と人とに対する高い感受性、感受したものごとに対して誠実に応答する実行性であって、自ら新しい倫理規範を創出しようなどという努力と哲学は不要だ。

その代り、企業に対しどのような期待を掛けどのような責任を果たして欲しいかを、私達はもっと明確に要請してよいし、そうするべきだと考えている。
ハンディキャップを持つ者に配慮ある製品とサービスが要るのならばそのように、企業活動にあたって環境への配慮が要るのならばそのように、企業が自社の従業員・地域社会にどう対応しているかも商品購入時の判断材料にするならばそのように、他にも何でも、「このような商品が欲しい」「企業はこうあって欲しい」と具体的に情報を発信してゆけばよい。私たちは情報を発信する手段を得ているし、市場に影響力を持つ多くの大企業が「声」を拾うなんらかのチャンネルを持っている。

私達の要請に応えたとき市場から正当に評価されると、企業が確信を持つことができるならば、正のサイクルが勢いよく回り出すだろう。その要請が相当難易度の高いものであったとしても。
実際のところ、「確信」を持つに至る企業はまだ少ないのだが。