うらずきほうけ

「河童が語る舞台裏おもて」を読み返し、自分はやっぱしウラカタが好きなんにゃ、と改めて身にしみる。どの役をやりたいときかれたら、どんだけタイヘンかはひとまず脇へ置いて、舞台監督助手あたりがイイ。演出家も役者も舞台美術も私のぼんよーな感性ではとうていムリで憧れすらしないし、自分で美術的な何かを創り上げるということには、私はほとんど興味がない。だのに、他人がイメージした何事かを具現化していく、それも、けしておもてには立たず舞台裏で、という役回りに、妙に惹かれる。なによりカッチョいーやろ、と。
色々あって、市民ホールのようなところの舞台裏に入る機会が今までにもちょいちょいあったのだが、表で本番が進行している最中の舞台裏のあの空間が、とても好きだ。観客席で観ている以上に、何倍も、好きだ。

ある人が私の仕事ぶりや、仕事について話す私をみて、職人肌だと評したことがある。工芸品を作っているわけではないけれど、まあ、そうかもしれないなと思う。そもそもそれを褒め言葉だと感じるところからして職人肌だよなと思う。私の職種から言えば、あるいみ、進取性がないですね、とマイナスの評に受け取るべきことなのだろうが、私にまったくそんな気はなく、あ、そう?なんか嬉しいですね、くらいの感覚だった。

私は現場で現役でこつこつ考えて自分の手を動かすことが好きなんにゃ。その結果がすぐに見えて聞こえてくるような、そういう仕事であれば最高にいい。大きい仕事を任せられるということは、自分の器を測る機会にはなるだろうけれど、それを特段うれしいとは思わないし、大きい仕事ほど誇れる仕事だという感覚もない。以前、また別のある人に、あんたのその程度の小さな案件ごときに関わっている時間はないが上がどうしてもというから仕方なく、と言われたとき、ではやめましょうと即座にこちらから断ったことがある。それは私の仕事の小ささをバカにされたからではなく、仕事の大小であからさまに態度を変えて憚らないヤツと一緒に仕事ができるかバカヤローとトサカにキたからだった。その後、後輩かつ下位職の私に頭を下げに来てくださったその人のうほうが大人で、サッサとキレて案件を放り出そうとした私の方がよほどのロクデナシだが、まあ、そういう物言いが我慢ならずあからさまに衝突する自分はつくづく政治にも交渉にも向かない、現場でこつこつやっていくだけが取り柄の、それで十二分に充足している人間なんだと思う。


ただ、何かを想い、思ったことを、なぜそのように感じ思ったのか考えて、書いて、また想い直して考えて、という繰り返しは、とても感覚的で観念的なことであるのに、あいもかわらずとても好きだ。なんでやろ。なんとなく、それは私にとって、けして観念と呼ぶ世界のことではなく、とても現実的で具体的な行為であるような気がする。
たとえて言うなら、私たちが何かを誰かと話したり笑ったり怒ったり、何かをしたりされたり影響されたりすることのすべては、私にとっては舞台上の演出のひと節で、私が「わたりとり」で何かをここに書きつけているようなことこそが、私にとっての、舞台おもてより遥かに懐が深い舞台裏でのひと仕事であるのだろう。