Home away Home #1

ブックマーク代わりのリンク集です。記事タイトルのみで申し訳ない。

 

 


 

名付け評する私の心
偏見・蔑視・差別。人の心根に必ずあるものを否定はしない。私の内にもある。しかしそれが集団心理となって公然と現れたとき、私は「集」に宿る悪しき心を嫌悪する。なによりも。

 

しばらく、三つの言葉のうちの【偏見】をテーマに記事を書きたいと思っています。【蔑視】【差別】へと繋がってゆくかもしれないが、どういうものになるかはまだわからない。ひどく散漫な文章になるだろう。空中分解して終わるかもね。綺麗な文章を書きたいとも、実のある記事を書きたいとも思わない。ヘンだな。そんなことはどうでもよくなってしまった。書きたいように書きたい。

 

偏見・蔑視・差別。
おのおのの言葉が指す範囲は重なりつつ異なっている。
辞書上の定義、それはそれとして、私は私なりの解釈で三つの言葉を使い分けている。これまで読み聞きしてきた経験の集積から、こころのありようのうち「このあたりまでは【偏見】だろう」「その先は【差別】と呼ぶのではないか」と。

 

これは私の感覚にもとづいた解釈にすぎないから、もし「他人」や「世間」の解釈とズレていると指摘されたとしても、ああそうですかとうなずいて私は抗わない。
私は、私のこころのありよう、どうにもとらえどころのない連続した空間に、あえて【標識】を打ち立て、立て別け、仔細に測定し認識する為に【言葉】を利用しているだけだ。あなたが【標識】を立てる位置は、私とは違うかもしれない。きっと違うだろう。違わないはずがない。
あなたと対話するうえで、議論するうえで、言葉を揃える必要があると言われるなら、私の解釈は棚上げしてもいい。あなたの言葉の解釈に合わせよう。ただしそのときは、言葉の解釈を揃えることによってあなたと私との間で「何を」為したいか、私はそれをあなたに問うかもしれません。言葉の定義を争うためだけに、言葉の定義を語ることは無意味。

 

偏見・蔑視・差別。
同一の意味ではない。だがその底には同じものが流れていると感じる。

 

一方を「マトモ」とし他方を「マトモでない、オカシイ」と決め付けるこころ。「マトモ」と「オカシイ」の境界のありかたに微塵の疑いも抱かないこころ。境界を取り払うことも踏み越えることもしない、そうすることを思いつきもしないこころ。違和感。怖れ。無知。無理解。頑なさ。

 


 

ひどく独りよがりな文章を書き散らすかもしれませんが、コメント・トラックバックはご自由にどうぞ。どのような内容でもかまいません。「こういう質問は私(わたりとり)が傷つくのではないか」「こういう発言は偏見だと受け取られないか」といった遠慮は無用です。

 

私は我慢します、気にしないようにしますという意味ではなく、どのようなことを訊かれても、言われても、私は傷つかないし気にならない。私はリアルで何度も言ってきた。知らないのだから仕方がないのだと、誰も悪くないのだと。そして本当にそう思っている。知らないのだから仕方がない。誰も悪くない。形を変えて、私だって他の誰かにやっていることだ。

 

ただ、いただいた質問に対して答えをはぐらかすことはあるかもしれません。それは私が傷ついたからでも怒ったからでもなく、私の出自を特定されかねないので答えられない(情報を出せない)のだ、と捉えていただければ幸いです。

 

※ちょっちぷんさんへ
リンク集にちょっちぷんさんの記事を並べたこと、不適切かもしれないと感じています。内省と言語化の作業のうえで、私にとっては直行したい(いつでも読めるようにしておきたい)記事なのですが・・・ちょっちぷんさんにとっては不本意ではなかろうかと。あなたの内省の軌跡を、むやみに利用されているようにお感じにならないかと。言ってくださればリンクを消します。申し訳ありません。