芋掘り言外ノ資

「・・・あ、あかん、これも書けない。こんなじゃ書けん。全然かたまってない。かたまらない。うー、かーーっ、イライラする! もうやめたい!」
「ここでやめたってパレスチナの人らになにひとつ害は無いのー。んでもって、首尾よく上手いこといったかてあんたがちょびっとヒトらしくなるだけで、パレスチナの人らのなんの役にも立たんしなー。・・・なんでやめられへんの」
「もっと面白いこと訊けや。なんじゃそのクソつまらんツッコミ」
「もっと気の晴れること訊けや、けったクソ悪すぎて答えとないわ、の間違いやなそれ。ほな、訊いたるわ。こないな苦しい書きもん、芋堀りちゃうんとちゃう?」
「・・・」
「意味のあること書こうとするほど書けへんとき『意味なんちゃ書いているうちに出てくるやろ出てこんでも俺はしらんけどなバーカバーカ』て書き転んでるうちにどっかに行き着くんが芋掘り奥義やったのにー」
「・・・そうでした」
「とりあえず、これ表に出してまい。ほいで、意味なんちゃどうでもかまへん、あんたの手に触れた芋テケトーに並べて話しせぇや。うちが聞いたる。そのために呼んだんやろぃ」
「聞き役がいてくれるのって、ほんとにありがたいな、ミミダケ鳥」
「黙って聞いてほしいダケなら壁にでも話せやあほんだら」




1800年代末からの入植史を読んでたらワケわかんなくなってきました。いまからとてもひどいことを言うかもです。先に謝る。ごめんなさい」
「誰に謝っとんじゃ、誰に。こないな閑古鳥ブログで自意識過剰にもほどがあるわ。はよ言いたいこと言え」
「おもいっきり約(つづ)めて言う。パレスチナっていったい『誰の』土地なのさ、て、わからなくなった。あそこってざっくり時代別けすると、ユダヤ - ローマ - ペルシア - ビザンチン - イスラム・十字軍 - オスマントルコ - イギリス委任統治 - イスラエル、なんだけど、ユダヤから後、かつイスラエルより前、の時代って、常に統治者が土地の外に居て」
「巻き戻し。約めてのところ、もっかい言うて」
「ん? パレスチナっていったい『誰の』土地なのさ」
「そこに住んでる人らのに決まってるやん」
「そこに住んでる人らのだと思うよ。んでも、そこに住んでる人らが『統治』というシステムから自由であるなら『決まって』はいない。無政府状態てことじゃん。土地は実力でそこを占拠している者のもの、というだけのこと。土地が統治されていて、統治する機構が特定の人にその土地の利用を許しているなら『決まっている』・・・許している、というのは、許可している、てことじゃないよ。干渉しないってこと。機構が干渉しない圏域として自治を認める、とも言えるのかな」
「巻き戻し。約めてのところ、もっかい言うて」
「・・・パレスチナっていったい『誰の』土地なのさ」
「そこに住んでる人らのに」
「そこまではOK」
「決まってるやん」
「決まってない。えーとな、つまりな、そこに住んでる人らが、自分達が帰属するべきと信じて疑わない統治機構を得て、その機構によってそこの土地は自分達のものであると許される、そういう地点を一度は通過しないかぎり、『そこに住んでる人らのに決まってる』とは誰も言うことができない。ということ。です。・・・これでわかるけ?」
「それとパレスチナの歴史がどう関係するん」
「んーと。パレスチナの人達が、自分達は自分達の国に帰属していると信じている時代がこれまでにあったのなら、今現在イスラエルによって自分達の土地の主権を奪われたという認識は、彼らにとっても歴史的にも『決まっている』と思うのよ。でも、自分達は自分達の国に帰属していると信じている時代がこれまでに無かったのなら、彼らにとって『占領』とはなんだろう、と思ったわけ。いつの時代も『誰か』に支配されていたけれど、自分らのこと放っておいてくれる存在感の薄い支配者もいれば無茶苦茶クチ出して手出してくる暴君的な支配者もいて、で、今は後者の不幸な時代、ということだよね、という。・・・中東史は高校の世界史レベルでしか知らないんだよな。勉強し直しだな、こりゃ」
「あんたの不勉強の反省はどうでもええわ。巻き戻し。約めてのところ、もっかい言うて」
「・・・パレスチナっていったい『誰の』土地なのさ」
「そこに住んでる人らのに決まってるやん。でもって、イスラエルの政策が、パレスチナを、そこにずっと住み続けていた人らのものとして扱ってないっていう現状があるわけやん。んで?」
「んーー、どう言えばいいんだろう。つまり、彼らの土地を彼らのものとしないイスラエルの政策があるんだけど、それはイスラエルが『占領しているから』なのか、というのが疑問なわけ。だったら『占領されていない』時代はいつだったのか、ということ。占領されていない時代は無かったはず、と反語的に言っているわけじゃないよ、そういう時代があったならそれでいいしそうであればいい、私はそれを知りたいんだけど。でも、もしそういう時代があったなら、いま彼らは、どこかの国から、分断され他国に支配されている『同属の人達』として支援されているはず。支援されいないのなら、同属の人達からさえ切り捨てられた人達、という認識がどこかに在るはず。・・・でも、そうは見えない・・・中東に『同じイスラム教徒』という連帯意識が在ることは知っているけど、でもそれは世界中に居るユダヤ教徒の人の間に『同じユダヤ教徒』という連帯意識が在ることと変わらない、統治機構に基づく同属という意識とは全然別の位相の話じゃない。んで、パレスチナの人達にとって、自分達が住み続けてきた土地を自分たちのものだと許した『自分達の統治機構』がこれまで無かったのだとしたら。あるいは、その最初の機構がパレスチナ解放機構だったのだとしたら。イスラエルが『他者』と認識しているパレスチナ人とは、自らの統治機構を持たない人達の群れ、あるいは、イスラエルに『反』する形でようやっと自分達の政治的アイデンティティを獲得した人達の群れ、ということにならないか」
「だったら、なんやの。はい、巻き戻し。約めてのところ、もっかい言うて」
パレスチナっていったい『誰の』土地なのさ」
「そこに住んでる人らのに決まってるやん。いま自分らを統治している何奴かがそこはお前らの土地ちゃうわどけや言うか言わへんか、なんちゃ、関係あらへん。ぜんぜん宗教ちゃう奴らにお前らどけやて殴られたからうちら対抗するために初めて結束しました、やったとしても、そんなん関係あらへん。土地は、そこに住んでる人らのに決まってるやん。はじめっから」
「そこに住んでる人らのだと思う、て私だって言ってるだろうがよ。そこには反対してないやろ。でも、『決まって』はいないんだってば。あーもう、なんでわかんないかな!」
「怒りなや。うちとあんたの間ですらここまで疎通せんてことは、外のヒトには絶対にわからんへんで、この話。よーぉ考えて、こんがらがっとる結び目ほどいてかな」

 * * *

「逆から行こう。ある土地がそこに住んでる人達のだと決っていると『感じる』根拠って、何があるよ。一番わかりやすいのは、『国』という機構がまずあってその人達を定住者と認めてるとき。だな。では国という統治機構を持たないか、機構から脱しているか、機構から認められていない人達の場合は」
「その人らがそこにずーっと住んではるって事実の『重さ』が『歴然』としているとき、やろ。何年住んでるか、何代住んでるかによるけど。あんたやったら何年、何世代が境界になるん?」
「何年・・・三十年、いや二十年くらいかな。何代、となると四・五世代くらい」
「どっちかに合わせ」
「そんなわけにも。そうか、二・三十年は『個』、四・五世代は『集』のスパンなのか。私のなかでは。二十年から三十年以上続いている個人の生計の基盤を壊すことは、その人の尊厳にまで至る毀損だと私は感じる。四・五世代以上の長さの連続性が部外者にぶった切られると、個人の枠を超えた『集の歴史』が部外者によって破壊された、許されないことだという感がする」
「時間の幅はちゃうけど、そのふたつに共通することないかや」
「んー、あるようなないような・・・ちょい別の切り口。自ら土地を開墾したり改良したりして定住した人達には、その人達の土地だと感じる『時』が速く来るんだよな。『個』のスパンなら十年ちょい、『集』のスパンでも二・三世代。なんでだろう? 彼らは『何か』を速く成した感がする、から、みたいなんだけど。形成したというか。・・・連続性によって少しづつ上積みされていった『何か』がある地点で量から質に転換する、同じ『何か(量的)』でありながら別の『何か(質的)』に変わる、その『何か(質的)』は根こそぎにされないかぎりその価値を減じず新たな『何か(量的)』を生み出す基盤になるもので・・・うっ、こりゃー稀に見る寝言ぶりだな」
「実感あるところで具体例言うてみて」
「街育ちでろくに土にさわったこともない私に、実感、ですかい。土地と実感と具体っつーたら、私にはあの伯父さんしかいませんが。んー。伯父さんが持っていた・・・先代から譲り受けて次世代に譲り渡そうとしていた、あの田圃と畑と家屋と家系譜と共同体と。うん。あれは伯父さん達のものだと私は感じる。私でない他者にとってもそう認められるべきと思う。なぜそう感じるか、なぜそう思うか、という話だよな。んー・・・そこに伯父さん達が一生懸命『生きていた』から?」
「おわ。そのフレーズ、うちは勘弁。次に言うたらさぶいぼ出るで」
「言うてて自分でも居心地悪ぃす。いやっ、でもこれも薄々の実感だよ、うん。私ひとりの実感としては、伯父さん達がそこに根を生やしたように生きていたから、でいいんじゃない。・・・だが他者によっても『そう認められるべき』と私が思う根拠は、違うな。他者に向かって『私の伯父さんがそこに生きているから、そこは伯父さん達の土地だ』とは、私は言わない。仮にそこに新しくやってき来た誰かだって、その土地で『生きる』ことに変わりはない。伯父さん達と新しい人達との生の尊厳に差異は無い。この感覚、日本全てに拡充してでも私は同じことを言うよ」
「あんた、そのへんは徹底して非国民やな」
「土を耕したことのない者の無痛の放言とも思うがな。・・・そろそろ大家の字数制限にかかりそうです。ちっ」
「ちょい戻し。他者によっても『そう認められるべき』と私が思う根拠のほう、まだ聞いてへん」
「ああ、それね。んー・・・伯父さん達はただそこに『生き永らえていた』だけじゃない、という、他者にとっても価値のある事実がある、と感じるんだよね。そこの風土に適した生計のノウハウを体系的に創造したという事実、そこの風土と生計のありかたに合致した精神性の体系を創造したという事実、その体系を伝承しているという事実。人が生存するという普遍の命題を持続的にクリアするためのひとつの適解を伯父さん達は持っていて、しかもその解は、人がただ生存するだけでなく、物心ともに豊かに生きていくために何度も再利用できる『生の基盤』を形成する、それだけの質量を備えている。この『質量』に、他者にも訴求できる価値を私は感じるわけ・・・あー、そういうことか。個人なら二十年から三十年。集団なら四世代から五世代。土地を切り拓いた人達には速くその『時』が来ると感じる」

>連続性によって少しづつ上積みされていった『何か』がある地点で量から質に転換する、同じ『何か(量的)』でありながら別の『何か(質的)』に変わる、その『何か(質的)』は根こそぎにされないかぎりその価値を減じず新たな『何か(量的)』を生み出す基盤になる

「ながいわ。『何か』てなんや。一言で言うて」
「文化という『資産』。語義に立ち帰って言うなら」