Home away Home #10

ある場所で、こんな表現を見た。
対立している(としか見えない)ブロガーに対して放たれた言葉なのだが。

 

「信者と末永くお幸せに」

 

スゴい使用法を見てしまった、と思った。「宗教みたい」という揶揄にもそれなりの毒があるが、【信者】とはね。
こういう用法はネットで何度も見てきて慣れているから、腹が立ったわけではない。私も揶揄の意図で「Google教信者け?」と使ったことがあるくらいだ。が、他人を侮辱するための道具としてここまで露骨に使われているのは初めて見た。

 

過去の私の属性を現す言葉は、世間ではこのように扱われるシロモノです(自分も使ってるしな)。

 

* 世間の用法 *
【信者】独善的な価値(または者)に追従する愚者。

 

そういう意味だろう。世間ではそういう意味で使われているのだろう。違うのか? 違うなら「それはこういう意味だと思う」と私に教えてください。

 

この言葉を受け取ったブロガーは怒りを記事に現した(と、私には見えた)。
当然だろう。「愚かな追従者をはべらす独善者」という意味合いで、揶揄されたのだから。
侮蔑されたブロガーは【信者】という言葉を逆手に取って使い倒すことで対抗していた。その怒りはよくわかるから、読んでも私は不快ですらなかった。けれども、彼女が記事中でコメントで【信者】という言葉を繰り返す様子を見て、物憂くはなった。

 

その攻防を見ている人は少なくなかったはずだが。知的な文章を書く、教養を備えている多くの人達が見ていたはずだが。誰も、なにも、感じなかったのだろうかと考えると、さらに物憂くなる。

 

【信者】という言葉は、こっちの世界では、他人を攻撃するための言葉なのだな。攻撃するほうも応戦するほうも観衆も、その言葉が何を踏みつけにしているかなんてことはまるで感じていないのだな。あーもしかして「権力の【イヌ】」とか「貪欲な【ブタ】」とか、そういうノリで扱うモノなのか。
それともあれか。こっちの世界では【信者】は、靴の裏に付いているバクテリアを踏んづけるくらい踏んづけられて自然なものだったりするのか、まさか。
水を飲むように。息を吐くように。人々の文章のなかで、侮蔑の言葉として、当たり前に使われている。



発話者を責めたいわけではない。人がなにかを感じ思うことは自由だ。感じ思ったことを表現することも自由だ。言葉狩りをしたいわけでもない。何をどう書こうと自由だ。複雑な概念を内包するシンプルな言葉は、表現を鋭くおもしろく豊かにする。使い手のセンスと品性は問われるべきだが、言葉の使用そのものを禁じるべきなどとは私はまったく思わない。

 

ただ、こう訊きたいだけだ。世間の代表者である他者に対して。「その言葉を、あなたはどういう意図で使いますか」「その言葉を使うとき、あなたは現実の【信者】に対してどのような感情を持っていますか」と。私の認識が合っているかどうか確かめたいから。ただの好奇心です。

 

私の内には怒りが在る(無ければ、こんな記事は書かない)。しかし、怒りを個人に向けたいとは思わない。というより向ける先がない。しかたない。私もまた偏見と差別に捕らわれて宗派を捨てた(おそらく)。誰も悪くない。どうしようもない。ただし私はもう使わないことにする。馬鹿野郎。



ちなみに、ウチ(両親が入信していた新興宗教)のなかで【信者】という言葉が使われるとき、揶揄の意味はまったく無い。当然ながら。ウチではお互いを「信者さん」と呼びあっていたが、そこに込められているのは親しみと敬愛の念だった。・・・というとちょっと大袈裟かな。しかし暖かみのある感情であったことは間違いない。




 

「Home away Home」を書き、コメントやトラックバックをいただくなかで、わかったことがある。

 

ごく幼いときから、私はふたつの言葉を持っていたのだな。
ウチ向きの言葉と、ソト向きの言葉と。
無意識に、ふたつの言葉を切り替えながら暮らしてきたのだな。

 

新しい発見でした。おもしろい。私は私をひとつ理解した。ざまあみやがれ。