Home away Home #28

自宗派が分裂し聖地はこちら側に帰属した。
当時、どう感じたか。
感情の事実を並べる。修飾しない、分析しない、その是非を問わない。

 


 

係争と分裂、どちらの陣営にも私は拒否感を持った。
「信仰者のやることか」
「争うなと教えておいて、やっていることが違うじゃないか」
繰り返し感じた。疑問。不審。

 

聖地はこちら側に帰属した。人の群れで占拠し出入り口を封鎖することで、既成事実として決まった。
「信仰者のやることじゃない」
「許されない」
何がどう許されないのかはわからない。衝撃。不信。
繰り返し感じた記憶はない。一度だけだったかもしれない。

 

 * * *

 

矛盾する記憶がある。
聖地と運営本部がこちら側に帰属すると聞いて、ほっとした覚えがある。私の家の生計が掛かっていた。
「これからもお給料がもらえるってことかな。大丈夫ってことかな」

 

 * * *

 

こちらが正しいから勝ったと思ったことは一度もない。
だが「正しくない」なら、聖地がこちら側に帰属するという契機は許されないはず、とぼんやり感じていた。現実にはこちらが聖地を有している、それはこちら側が「誤ってはいない」ということ。

 

 * * *

 

分裂後の聖地での最初の記憶。
祭殿への昇り口は柵で遮られていた。扉の多くに鍵が掛っていた。灯りが少なかった。建物から、以前は外まで溢れていた人の波が消えていた。参集者はかつての五分の一か、もっと少ない。

 

数百人、祭壇前に並び、奏上の歌を斉唱する。
私はうわのそらだった。人が少なくて寂しいというのじゃない。前に見える祭壇より、背後に感じる大きく空いた無人の無音の空間のほうが気になってしかたがない。
「居ない人が大勢いる」
「自分は何をしているんだろう」

 

 * * *

 

場が人を選んだと思ったことは一度もない。人が人を選んだとも思わなかった。
あちらとこちらがあり、一緒に居るとお互いに謗り合うしかないあちらとこちらであるので、別々に居るしかない。そうして、ひとつの場をこちら側が所有した。
(聖地は複数あった。あちら側は別の聖地を所有した。どこも所有しなかった分派もある)

 

場のひとつはこちら側が取った。あちら側も別の場をひとつ取った。
・・・とは思わなかった。
「聖地をこちら側が所有した」
・・・と感じた。

 

 * * *

 

双方はやく和解するべき、とは思わなかった。そうできると端から思えなかったからか。

 

 * * *

 

「あちらの人達もここに来れたらいいのに」
聖地で、こちらの人達の屈託のない顔をぼんやり眺めながら、感じた。
感じることを忘れた日もあったかもしれない。

 

 * * *

 

別れた人達と一緒に、再びひとつの心で祈りたいとは思わなかった。
もともと、他の人と心を合わせるという感覚が私には無い(そういえば)。

 

お互いの想いを合わせるとか、べつにそんなの要らない。
聖地は来たい人が好きに来て祈って帰るところであってほしい。それだけ。

 

 * * *

 

信仰への私の想い入れは、周囲の人達のそれより、ずっと浅い。あるべきラインに達しない。不真面目で疎かだ。
どんな人も自分よりはよくできた利他と奉仕の心を備えている。実践してもいる。彼らがその心の支えとして切実に「場としての聖地」を必要としていること、その想い入れの強さ、私には量れない。私の想い入れと彼らのそれの深さは、まるで比較にならないと感じる。

 

私の「感じかた」は私の想いの浅さが為せる形をしている。
聖地について誰かと話をしたことが一度もない。

 

 * * *

 

ごくたまに、顔のない彼らの内心に向かい
「あなたに深い想いがあるのなら、同じ想いの深さを持つ人を、なぜあなたは」
と、私の指を付き突け詰(なじ)りたいと感じるが、一瞬で、感情は収まってしまう。

 

ひとりで嫌な気分になり、また収まる。

 

 * * *

 

分裂から数年経ち、和解と統合の模索が始まった。と聞いた。
個人としてなら聖地の行き来が自由になったと聞いた。
「よかった」

 

統合はまだ難しいとも聞いた。ほんの数年で互いの流儀に変化が起きていた。体系のなかで何をどの順位に位置づけるか、用品の取扱い、奏上の唱の言葉運び。
「ささいなことじゃないか」
だが、統合の障害になることは理解できた。

 

言葉の発しかた、言葉の使いかたが異なる人達と、同じ処で同時に祈ることはできない。

 

理解はできたが、馬鹿じゃないかと感じた。
「なにが大乗だ。嘘だ」
入信にも脱会にもいっさいの条件なく、異なる宗派と掛け持ちすることもかまわず、戒律なくなにごとも強制しないところを「大乗」と誇らしげに呼んでいたんじゃなかったのか。

 

 * * *

 


 

稚拙な文章だ。「私は感じた」「私は思った」ばかり。
なにも信じていない、疑ってもいない。発言もなく、行動もない。

 


 

自宗派の統合はいまも進められている。その紆余曲折はともかく、何十年という時間をかけての融和への努力は「嘘」ではない、と感じる。

 

融和が成ったとしても、自分の意思で外に出た私には、喜ぶ契機は来ないが。

 


 

私は聖地が好きだったし、たぶんいまでも好きだ。
行くなら、祭典のない日を選んでひとりで行く。